2010/7/27 火曜日

『猛暑と読書』

小森陽一日記 11:00:00

それにしても暑い………。連日気温は30度を軽く越えている。熱帯夜も続いてる。
庭に水を撒いても「ジュッ!」って蒸発する感じだ………。梅雨明けした途端まったく雨が降らんとは………極端過ぎるにもほどがあるっ!!

そんな猛暑の最中であっても読書だけは止められません。ここ最近はよくノンフィクションを読んでおりまして、例えば亀山早苗さんの「救う男たち」Ⅰ、Ⅱ。東京消防庁のレスキューに密着したドキュメントはとても読み応えがあって、じっくりと観察されている亀山さんの視線は深く参考になりました。高江洲敦氏の「事件現場清掃人が行く」。殺人、自殺、孤独死などが起こった部屋を跡形もなく綺麗にするという清掃人の現実。著者自ら体験談は筆舌に尽くし難いものがあります………。山崎大地氏の「宇宙主夫日記」、宇宙飛行士山崎直子さんの旦那さんが書かれた実話、宇宙飛行士を家族に、そして妻に持つという事はこんなにも犠牲が付いて回るという事に衝撃を受けました。

―――さて、衝撃と言えばこれ、木村元彦氏の「オシムの言葉」。あらゆる意味で衝撃を受けた一冊です。サッカーの前日本代表監督イビツァ・オシム、あの魔法のような哲学のような謎解きのような言葉がいったいどこから生まれて来るのか?この本を読めばそれがはっきりと分かります。オシム氏が体験した壮絶な人生とそこから育まれた言葉の数々………、これを知らずに通り過ぎなくて良かったと心から思わせてくれた一冊です。

「オシムの言葉」木村 元彦 (著) はこちら

それとはある意味対極にあるかもしれない男の人生譚がこれ、グレッグ・モーテンソン氏の「スリー・カップス・オブ・ティー」。どこにでもいる、決して人生をうまく転がせていない等身大の男、そんな男が起こしたとんでもない奇跡が描かれています。9.11、アメリカが狂信的にイスラムを憎んだあの時期、名もなきアメリカ人青年グレッグは、寄付で集めたお金を使って学校を作り始めます。それもイスラム世界の真っ只中で………。この本は夢と愛で出来ている本だと思いました。それくらい素晴らしい本です。

「スリー・カップス・オブ・ティー」グレッグ・モーテンソン (著)はこちら

色んな国の色んな人の人生、色んな考えを持ち、時に挫折し、時に喜びに満ち溢れ、笑って泣いて怒ってそしてまた笑う………。僕にとってノンフィクションとは、「心のマッサージ」みたいなものです。固くなった心を解きほぐすにはノンフィクションを読むのが一番効き目があるみたい!

2010/7/20 火曜日

『梅雨明け発表の日、夏男が吼えた!』

小森陽一日記 14:06:08

本日17日午前11時、このブログをスタートさせてからこれで4度目の梅雨明けが来た。遡って自分の記事を読み返してみたら、2007年は空梅雨だと言われていたのが一転、梅雨末期の大雨が降った年だった。2008年は「トッキュー!!」の連載が終了した頃、即ちほぼ例年通りに梅雨が明けて暑い夏が来た。2009年はエルニーニョ現象による異常気象で、中々梅雨も明けずついに本格的な夏は来なかった………。そして今年は―――、凄まじいまでのゲリラ豪雨で各地に大きな爪痕を残す極めて獰猛な梅雨………、それもようやく終りを告げ、青い空とギラギラした太陽と庭にクマゼミという3点セットが現れた。なんて事を綴っていたら携帯が鳴った。英明くんだった。

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「小森さん、凄いっスよ………。凄いことになってますよ………」
電話の向こうから興奮している様子が伝わって来る。「海猿3」を試写室で観て、煮えたぎったままの勢いで電話を掛けてきた感じだった。
「何が凄いの?」
「出来です出来!ほんとに凄いです!」
「主役がそこまで言うか」
「はい。マジ凄いです!」
もう凄い凄いのオンパレードだった。

【役者は初めて繋がった映画を目にした時、どうしても客観的に観る事が出来ない。ストーリーに入り込む前に、「このシーン、もっとこうすれば良かった」とか「あぁ、ここをカットしたのか………」とか、そんな事が気になってしまう】
かつて英明くんはこんな風に語った事がある。
『なるほど、役者ってそういう感じ方をするものなんだな………』
良い悪いではなくそれが役者の生理、そう思ったものだ。だが、そんな彼が「海猿3」を客観的に観られなかった。どっぷりと物語に浸かり、興奮し、涙まで流したと言う………。これには本当に驚いた。

スタッフに対する感謝、キャストに対する感謝、培ってきたチームワークの素晴らしさ、何度もそれを口にしていた。集大成として、きっと誰よりも強い想いがあったんだろう。だからこそ、作品の出来栄えに震えたんだと思う。  
「ほんとに凄いですから!」
僕に向かって力強くそう言い放った伊藤英明、その言葉には飾りも迷いも照れもない。これはどんな巧妙な宣伝よりも強い。きっとこれから、この想いを沢山の人にストレートにぶつけて行くんだと思う。そしてその想いは確実に沢山の人に伝わるに違いない。

僕は来週(このブログがアップされた時は今週)「海猿3」を観る。本当に楽しみだ。

2010/7/13 火曜日

『今回は日記風に―――』

小森陽一日記 14:02:15

「右足受難」

右足のアキレス腱を切った嫁さんの傷もようやく癒えてきたと思ったら、今度は親父が手術と相成った。ヘルニアである。少し前から腰が痛かったらしいが、6月末にはもう右足が痺れて動けない状態になっていた。幾つか病院を回り、判明したのが椎間板ヘルニアである。そこで切除手術を行なった。くしくもその日は七夕、織姫と彦星が年に一回出会う日だった。
結果は良好、動かせなかった右足もすっかり元通り、歩けるようになったと母から電話があった。日曜日、長崎に住んでいる妹夫婦と時間を合わせてお見舞いに行った。先に到着していた姪っ子と遊んでいた親父は顔色もよく、大きな個室で自由を満喫中の様子であった。それにしても右足の受難が続く。三度目の正直という事もあるし、右足には注意をしておこうと思う。

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「名古屋場所の番付表」

大相撲、名古屋場所は件の野球賭博問題で揺れに揺れ、とうとうNHKが中継をしないと決めた。
「あの相撲中継の穴を一体どうやって埋めるんだろう………?」
以前番組のディレクターをしていた関係もあり、相撲を中継しないという決定そのものよりも、中継が飛んで出来た穴をどうやって埋めるのか、そっちの方が気になった。そんな事も含め、この平成22年名古屋場所は今後の大相撲を語る上で、永遠に忘れられないものとして記憶されるんだろう。北の湖部屋のT力士からいつも送って頂いている番付表、そこには大勢の力士と並んで、「大関琴光喜」の文字がある………。国技と暴力団、一見真反対のようなイメージが結び付いてしまった衝撃、これを払拭するには相当の時間が掛かると思う。いや、もはや払拭は出来ないかもしれない。それを少しでも薄める方法があるとすれば、力士が力士として土俵の上で嘘のない勝負をする以外にない。それしか大相撲を甦らせる道はないと思う。

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「祝!ドラマ!!」 

我が盟友の話。久保ミツロウ原作の「モテキ」の連ドラが、いよいよ今週金曜日よりテレビ東京系列にてON AIRと相成る。マンガを続けていく上での曲折、ドラマ化までの遠い道のりや苦しみなど、実に様々な苦労があった事を僕は知っている。だからこそ、作品が大ヒットし、ついには実写というカタチになるという現実が素直に嬉しい。出来るなら久保ミツロウを神輿の上に乗っけて、「よっしゃよっしゃ!」「天才秀才偉人才人!」と掛け声を張り上げ、街を練り歩きたいほどである。
これで本人にも「モテキ」が来ればもはや言う事はない。

ほんとによかったな、みっちゃん。おめでとう!!

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2010/7/6 火曜日

『過密地帯』

小森陽一日記 17:24:10

我が家の水槽には熱帯魚の定番組み合わせとも言える、プラティとコリドラスがいる。プラティとはメキシコが原種のカラフルなメダカ、可愛いし綺麗だし水槽の側に行くと一斉に寄って来てエサをねだるという人懐っこさがある。だからついついエサを上げてしまう………。小さいが中々人の扱いに長けた魚なのだ。
この度プラティの一斉産卵が行なわれ、気付けば水草の間は稚魚だらけとなった。既に50匹はいるだろうか、メダカの学校ならぬプラティの学校、騒々しい事この上ない。

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過密と言えば庭の雑草もそうだ。この長雨で草むしりが出来ない事をいい事に伸び放題生え放題、芝生の間からニョキニョキと訳のわからん草どもが溢れ、一帯はジャングルと化している………。中には花まで咲かせ生暖かい風に優雅に揺られている奴もいるから始末が悪い。

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そしてすっかり困ってしまったのがアリだ………。
しばらく前から娘に指摘されていた。玄関にあるインターフォンにアリがいるというのだ。先日郵便を取りに行ってギョッとした。アリがインターフォンの周りに群がっているではないか!?これはどう考えてもオカシイと思って暫く様子を眺めていたら、どうやらアリ達はインターフォンの中を出入りしているように見える。ムムム………、試しにキンチョールを吹き掛けてみると、出るわ出るわアリの大集団がわさわと………。あまりの数に久し振りに鳥肌を通り越してジンマシンが出そうになった………。

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それから何度かアリキンチョールを吹き掛けてアリ退治を試みた。雨も降っていないのにパラパラと音がする………。それが、苦しむアリ達が足元を踏み外して葉っぱの上に落ちて行く音だと分かった時、再びジンマシンが出そうになった………。

いやはや………梅雨の時期は色んなものが大繁殖するものだ。ちょっと目を離すと昨夜の残り物や味噌汁にもカビが生える………。梅雨、それは夏に向けての大切な儀式だとは頭では分かっているけど、やっぱり好きになれそうにない。

2010/6/29 火曜日

『その時僕は中学生だった』

小森陽一日記 11:42:36

6月25日、「ウルトラマン80」のDVDBOXが発売された。「熱血、矢的先生編」と銘打たれた前半シリーズだ。「ウルトラマン80」が放送されたのは、その名が示す通り1980年4月2日から翌年3月25日までの一年間、僕は中学一年生だった。奇しくもウルトマン先生が担任を受け持った、桜ヶ丘中学一年の生徒と同じ歳だった――――。

第1話「ウルトラマン先生」の事は覚えている。人間の悪い心、即ちマイナスエネルギーが怪獣を復活させると気付いた80は、一番多感な歳頃である13歳~14歳に接触し、悪い心の芽生えを摘み取ろうとする。そう、理科の新任教師矢的猛として教壇に立つのだ。その一方で怪獣・怪奇現象専門のチーム、UGMの隊長オオヤマに見初められ、夜と週末はUGM隊員として活動するという二足の草鞋を履く事になる。
「なんか設定変わってんなぁ………」
生徒達の話し言葉や態度には同じ歳から来る反発はあったものの、物語の幕開けは十分な期待を持たせてくれた。

2話、3話、4話と回を重ねるうち、ウルトラマン先生と生徒達の絆が深まっていく。その反面、自分がウルトラマンである事を人間に知られてはいけない、学校や生徒にUGMである事を知られてはいけない、という強烈な制約がブレーキを掛けた。どんどん物語が堅苦しくなっていった………。

そしてある回より突然、学校編が消えた。プイッと、何事もなかったかのように、何の説明もなく、ウルトラマン先生編は終わりを告げたのだ。さすがにこれには違和感大アリだった。
「学校はどうなった?」「あの子達はどうしてる?」「京子先生との事は?」
なんの説明もしないまま、UGMの隊員として、これまでのウルトラマンと同様の設定で物語が展開された。

だから僕もある回よりプイッと見なくなった。よって「ウルトラマン80」の三分の二は未見である。正直腹が立ったし、こっち(視聴者)をバカにしてるとも思った。そしてこの時、ウルトラマンからおさらばした………。

再びウルトラマンを見たのは大人になってからである。ガレージキットの色を塗る際、体色などを確認する為だった。寝ても覚めてもウルトラマンという狂熱は失せ、もはや実務的な事しかそこにはなかった………。

そう、「ウルトラマン80」は僕をウルトラマンから卒業させたウルトラマンなのだ。

………しかし、40歳を過ぎてから心境が変化して来た。ウルトラマンに回帰しようという気持ちが強くなって来た。
 
例えばサッカー、選手がいて、監督、コーチがいて、審判がいて、観客がいる。それぞれの役割をそれぞれの年代が引き受けている。50歳の選手はいないし、20歳の監督もいない。それぞれが今の歳で出来る事を懸命にやっている。

これまで僕はずっと観客だった。騒いだり冷めたり地団駄を踏んだりしながらウルトラマンと関わっていた。今度は別の関わり方をしてみたいと密かに思っている。
その為にも見なかった「ウルトラマン80」の三分の二を、この機会にしっかりと鑑賞しようと思っている。あの時は分からなかった作り手の想い、楽しさ、口惜しさ、歯がゆさなどが今なら感じ取れそうな気もするから………。

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