2011/7/19 火曜日

『海の日に寄せて』

小森陽一日記 11:06:56

○海上
空……、そして海。
他には何も見えない場所に―――。
ポツンと浮かぶ二つの影。
人である。
次々に打ち寄せて来る波に翻弄される二人。
必死で浮輪につかまり波と闘っている。
勇  「絶対浮輪から手ぇ離すなよ!」

『1997年7月22日、16時8分。
海の中道警察署より事故発生の第一報が第七管区海上保安部に入る。
保安部は直ちに巡視艇「なつぐも」を現場に急行。
同時に巡視船「ながれ」に対し出動要請
部内に緊急対策本部を設置し捜索の態勢に入る』
   
―――なんて、いきなり何が始まったのかと思った方も多いでしょう。これ、「海猿」の大元、僕が一番最初に読み切り用で書いた原作の始まりです。タイトルは「七管の海」、主人公の名前は仙崎ゆう勇。ここから打ち合わせを繰り返して修正していきながら、次第に「海猿」が形作られていきました。海の日と言う事もあり、懐かしさもあってちょっと蔵出ししてみました。

今読み返すと色んな事が甘いし間違ってるし……。でも、あの時は夢中でやってました。分からないところを何度も電話で尋ねたり、直接聞きに行ったりして。海保の方から送られて来たFAXには宛名が「古森さん」と書かれていたり……。まだまだ名前さえも正確に覚えてもらっていなくて、ほんとに手探りでやってました。

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さて、「海猿」繋がりで時任さんの話を一つ。来月発売になる「DOG×POLICE」の小説に、時任さんが寄稿文を寄せて下さいました。近く集英社の雑誌に載ると思いますのでお知らせします。僕と時任さんは大学の先輩、後輩という間柄、先輩の温かい思いが溢れた文章に思わずジーンとしてしまいました。身体もデカイけどハートも大きい、そんな人です。現在オンエア中の「それでも、生きていく」というドラマの中では、加害者の父親という非常に難しい役を演じられています。このドラマはほんとに見応えがあります。考えさせられます。どうか皆さん、是非ともご覧下になって色んな事を感じて下さい。

最後に、妻は無事に退院いたしました。ご迷惑を掛けた皆さん、ご心配いただいた皆さんにはこの場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。

2011/7/12 火曜日

『梅雨は明けたが……』

小森陽一日記 13:34:40

記録的な速さで梅雨入りし、同じく記録的な速さで梅雨が明けた今年。だが、僕のところはまだ梅雨が明けない。すっきりしない空模様がもうしばらく続きそうだ。と言うのも――――、

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この五年間の中で最大最強とも言える二週間だった。来福メンバーが四組、仕事の締切が三つ、そんな中、妻が緊急入院したのだ。急にお腹が痛いと言い出して、病院に連れて行ったら即入院。なんでも大腸が腫れているという事だった。運悪くその日は「S」の博多打ち合わせ。担当Kと藤堂くんがやって来る日だった。今更止めようもない。慌てて入院の準備をしつつ、バタバタと打ち合わせをしたようなしてないような……。部活を終えて20時くらいに家に帰った娘を連れ、再び病院へと向かった。

木曜・金曜は映画部の佐藤Pと下田P、それに集英社のTさんが来福。炊事洗濯の合間に仕事、お見舞い、娘の対応……。まったくロクな打ち合わせも出来ずに散会。皆さんには本当に申し訳ない……。

おまけに土曜、日曜は娘の部活の初演奏会。主夫をしながらパパと夫の対応をしつつ、仕事の鬼となりました。(多分、頬が引き攣っていたと思う)。だもので、日曜の夜はいつ眠ったのか記憶にない……。幸い妻は今週中には退院出来そうである。

やはり家庭の柱がいなくなると右往左往してしまう。
塾が終る時間は何時?
洗濯機に入れる柔軟剤の量は? 
どのタオルが誰のもの?
回覧板はどこへ?
学校のプリントにはなんと返事をすれば?
などなど……。
なんか家の事、子供の事、分かってるようで全然分かってなかったなぁ……。
色々反省しつつ、またしっかり前を向いて行こう!

2011/7/5 火曜日

『ゲラゲラなんて笑えないっ!』

小森陽一日記 11:35:12

毎日毎日じとじとジメジメ……。時折、バケツをひっくり返したような雨が降る。一年を通して梅雨の時期が一番キライだ。同じ九州でも早々に梅雨明けした沖縄と南部が羨ましい。せめて仕事だけでもすっきり晴天のようにいきたいものだが、どっこいそうはいかず。中でも小説版「DOG×POLICE」のゲラについた無数のチェックには、相当に凹みまくっている……。

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本は出版される前のゲラ段階で必ず校正を受ける。校正とは漢字や言葉の間違いだけでなく、句読点の場所、言葉の表現、時にはその文章の内容までが対象に含まれる。これまでにも校正は受けた事があるのだが、今回のような長編小説となると初めての経験、これまでのチェックなど一体なんだったのかと笑ってしまうくらいの、膨大な「?」マークが付いている。

だが、そんな「?」を見てしみじみと思う。いかに自分が勢いだけで書き上げていたかという事を……。例えば「一ヶ月」という表現、一章ではそうなっていたものが二章では「一ヵ月」となっている。「ヶ」と「ヵ」が混同されている。それだけではない。一ヵ月の「一」が数字の「1」になっている箇所もある。そういう部分の一つひとつをページ番号まで抜き出し、どれに統一するかと尋ねてある。
他にもこんなものがある。ハンドラーが犬に指示を与える言葉を声符というのだが、これが時に「ひらがな」で「さがせ」と書いてあったり、「カタカナ」で「サガセ」と書いてあったりする。また、文章の下にラインが引かれていて、登場人物の立ち位置が分かりにくいと言った指摘までもがされている……。
どこまでも冷静なチェック。書いた、出来たとはしゃいでいた自分が一気に現実に引き戻される。

集英社文芸の担当編集Aくんと、僕の拙い文章を校正をしていただいた方に、この場を借りて心から感謝したい。この次に書くものは、今回より一つでもチェック箇所を減らそうと思う。勢いを持って熱くなりながらも、心のどこかは冷静でクールを保つ。それが小説を書くという事ですよ、そんな基本を教えられた気がする。

とは言え、このブログでも時々誤字脱字を指摘されてしまう、どうしようもない物書きなのだが……。 

2011/6/28 火曜日

『クルクル天気』

小森陽一日記 11:34:38

先週の水曜日、再び上京した。福岡は30度を越す曇天、東京は30度を越すドピーカン、溶けそうなくらいの暑さだ……。ホテルに飛び込み、すぐにシャワーを浴びてさっぱり。人心地ついたところでROBOTの安藤Pに会う。「海猿」ファンならばアンチカの名称でご存知だろう。アンチカさんとは時々会って談笑する。博多でコーヒー焼酎飲み過ぎて、フラフラになりながらカラオケで歌いまくる姿は壮絶だった。この日はお互いにお尻が決まっていたので、再会を約束し、2時間ほど話をして別れた。
夜はTBSのNさん、Oさん等と食事。すごく景色のいい場所で料理も美味しかった……筈なのだが、話に夢中でよく覚えていない。それぐらい集中して色んな話をした。こちらも実に心地良い時間だった。

木曜日、帰りの飛行機は久し振りにかなりの揺れだった。機長さんの話によると、気圧の谷を通過している為だと言う。収まっては揺れ、揺れては収まりの繰り返しで博多上空までやって来た。着陸態勢に入ったので機内のスクリーンでその様子を眺めていると、滑走路の右端に黒い影がある。光の具合でスクリーンに影が出来ているのかと思ったが、どのスクリーンにも同じような影が見える。なんだろうと思っていると、途端にドッと滝のような雨が落ちて来た。グラグラと機体が揺れる。左は晴れているのに右はドシャ降り、そう、あの影はゲリラ豪雨だったのだ。

金曜日は晴れたり曇ったり雨が降ったりと目まぐるしい天気だった。台風5号の接近により、異様な蒸し暑さが全身をねっとりと包む。そんな中、心臓の手術をした親父の見舞いに佐世保へと車を走らせた。ペースメーカーを埋め込んだのだが、術後の経過も順調ですこぶる元気だった。なによりだ。電子機器なので色々と生活面で注意する事はあるようだが、それを補って余りあるほど元気が取り戻せればそれに越した事はない。

土曜日は雨。雷を伴って時折激しく降る。マイの散歩はその隙を狙うようにして小走りだった。落ち着いて用を足せない事に恨みがましい目を向けてくる。でも仕方がないだろ! 雨なんだから! 

日曜日は娘の音楽発表会。出る時は曇り空だったが、3時間ほどの発表会を終えて外に出ると、台風の接近で猛烈な雨風が吹いている。通りに出てタクシーを拾いに行く最中、身体ごと持っていかれそうな強風が吹いて傘が裏返しになった。骨はすっかり折れ曲がり、もはや使い物にはならない……。気に入って長く使ってた傘がこんな風にダメになるとは。そんな気持ちを察してか、妻と娘が新しい傘を買って来てくれた。値段300円とちょっと。コンビニのビニ傘より安い……。

以上、クルクル天気に乗せての日記風レポートでした。

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2011/6/21 火曜日

『交流戦V』

小森陽一日記 11:02:37

2011年の日本生命セ・パ交流戦、ソフトバンクホークスが優勝を決めた。終ってみればセリーグ全球団に勝ち越し、18勝4敗2分けの交流戦史上最高勝率818!これはもう驚愕の数字だ。この数字を叩き出せたのは監督やコーチの采配、選手の頑張り、裏方さん達の献身的な支えがある。もちろん補強の影響もあるだろうし、日頃パ・リーグで日本代表格のエース達と凌ぎを削っているからこそのレベルアップもあろう。しかし、今年はそこにもうひとつ付け加えたい事がある。それはチーム力だ。

ナゴヤドームでドラゴンズ相手に優勝を決めた晩、ポンちゃんこと本多選手が多村選手のユニフォームを持ってグラウンドにいた。怪我でその場にいない多村選手のユニフォームがそこにあった事に、チーム愛を感じて胸が熱くなった。その事をポンちゃんにメールすると、こんな言葉が返って来た。
「多村さんが僕に託してくれました!みんなで勝ち取りましたから」
みんなで勝ち取った優勝―――。その姿と言葉にかつてのWBC優勝の瞬間を思い出した。

2009年、韓国との激闘を制し5対3で勝利し、連続優勝を遂げた日本、そのグラウンドには高々と背番号25のユニフォームを掲げる男がいた。太腿の負傷で戦列を離れる事になった村田選手、その魂は内川選手によってグラウンドにもたらされていた。あの光景を見た時、このチームが凄まじい逆境を跳ね返して勝ったワケが分った気がした。

あれから3年、内川選手はホークスの一員に加わった。現在、パ・リーグ最高打率を誇る3番バッターとして、交流戦MVPに最も近いのではないかと思われる。WBCの光景が脳裏に刻まれた僕にとって、内川選手の加入は本当に嬉しい出来事だった。……だが、土・日の横浜戦、心無いファンから浴びせられるブーイングは醜いものだった。あんなにひどいブーイングを聞いたのは久し振りのような気がする。確かに応援しているチームの選手が相手チームのユニフォームを着ている事に違和感を覚える心情を否定はしない。長年、熱い声援を送って来た相手であればなおさらそうだ。それは分る。僕も同じような経験をしているから。内川選手も横浜で深く愛されていた。あのブーイングはその裏返しだろうと思う。思うようにしている。しかし、横浜のオーナーの発言だけはいただけない。
「内川を痛めつけて(交流戦を)終わりたい」
あんな言葉、トップの者が言うべきものでは決してない。断じてだ。

個で闘い、和で闘う。
ホークスは今、そのような状態にあると思う。そこにいない選手のユニフォームを掲げる男達のいるチーム、ファンはますます魅かれ、巻き込まれ、大きなうねりを作る。週末からはいよいよリーグ戦が再開される。内川選手、みそぎ禊は済みました。これからはさらに思う存分暴れて下さい。あなたの事を心底応援していた横浜のファンは、いつまでもあなたの背中に声援を送る筈だから。そうだよね、ポンちゃん。

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