2011/12/6 火曜日

『トードーくん、年貢を納める』

小森陽一日記 11:04:21

トードーくんが結婚した。由緒正しい場所で結婚式を挙げ、立派に披露宴をやった。あのトードーくんが、だ。あの、トードーくんが、である!!

12月3日は列島を発達した低気圧が駆け抜け、大層な悪天候になった。そんな中、東と西から両家ゆかりの方々が淡路島へと集った。うちは家族ごと召集された。Yさんと博多駅で落ち合い、横殴りの雨の中、大移動を敢行。三ノ宮からは担当Kとも合流し、高速バスで島へと渡った。

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宿に入って暫くすると、再びマイクロバスに乗せられて暗い夜道をどこかに連れていかれた。それにしても淡路島は暗い。ほんとに暗い。夜は暗いという事をあらためて思い起こさせられた。
ついた場所は路地裏の料亭。そこに前日入りした面々が一同に介し、淡路島の魚を堪能した。この人は誰です、何してる人ですという紹介など一言もなく、ひたすら食って飲んでだんだん出来上がっていく。
「今日で十分や。もう明日はいらんやろ」
そんなセリフも飛び出すくらい、いい感じの前夜祭だった。

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さて、翌日は一転、日本晴れとなった。昨夜遅く合流したプロデューサーのS氏曰く、
「トードーくん、持ってる運を使い果たしたな……」
って……。全員苦笑。それくらい抜けるような青空になった。
結婚式は「日本書紀」や「古事記」で知られる国産み、神産みの男神、伊弉諸いざなぎを祭った伊弉諸いざなぎ神宮にて行なわれた。僕は場所柄はわきまえる人間である。神妙な面持ちで式の進行を見つめていた。宮司さんが語り、巫女さんが舞い踊る。さすがは伊弉諸いざなぎ神宮……、感心して眺めていたのに、当の新郎はあっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ、終いには僕等の方を見てドヤ顔をかます始末……。神様、いいんですかね、こんな男で……。たまにバチ当てて下さいませ。

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午後からは宿に戻って披露宴。僕等の席はど真ん前のセンターに用意され、しかも僕はその一番先頭。円卓だったのでひな壇にはお尻を向けて座る事になる。なんとも失礼極まりない場所だったのだが、テーブルに置かれた名前の裏をめくると、ばっちり似ている似顔絵とコメントが……。それが全員分ある。素晴らしい心遣いにすっかり嬉しくなって席の事を忘れていると、担当Kは渋い顔。だよな、原稿に注ぐべき筈の労力をこんなところで使っていたのだから……。キビシィねぇ……。0004.jpg

面食らったのは宴が始まって一等最初に僕の出番が来た事。述べましたよ、代表で祝辞を。トードーくんの為に口から言葉を捻り出しましたよ。ちょっとは感激してくれたかい?
いやいや、感激したのはむしろ僕の方でした。「由良COLORS」のモデルとなった面々が一同に介し、Yさんが余興で爆裂し、トードーくんと奥さんが両親の前でまさかの熱唱、そして――トードーくんのお父さんのラストスピーチ、あのキャラで全部もっていかれました。

いやはや本当に楽しくて、生涯記憶に残り続ける結婚式でした。
トードーくん、奥さんのRさん、どうかいつまでもお幸せに!!!!!

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2011/11/29 火曜日

『野蒜へ……』

小森陽一日記 11:53:58

仙台空港へ降り立つ時、飛行機の窓から見た光景が余りにも変わり果てている事にショックを受けた。あんなに青々としていた松林が今はほとんど枯れ果て、茶色い姿を晒していた……。
この日僕はAさんに再会した。お互いに言葉にならない言葉を交わして頷き合った。

Aさんの車に乗って一路野蒜へと向かった。やがて、Aさん夫妻が家屋ごと7kmも流された吉田川が見えて来る。
「この川ですか……?」
「そう。この川です」
テレビの特集番組で見たあの光景。横殴りの雪の中、家屋の残骸に佇んで川を遡って行く二人の姿を思い起こす。だが、目の前の、夕日に照らされて穏やかに流れる川が同じ川だとはどうしても思えない。その光景が一向に重ならない。

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しかし、車が公民館の駐車場で停まった時、光景は一変した。まるでゴジラが尻尾で薙ぎ払ったかのように、一階部分が剥ぎ取られていた……。僕は建物がこんな風に壊れた様を見た記憶がない。

Aさんの後を付いて歩いて行く。どんどん言葉が出なくなる。人の暮らしが完膚なきまでに破壊された様を見ると、こんなにも息苦しく感じるものなのか……。いっそ何もかもなくなってしまえば、さっぱりもするのかもしれない。しかし、ここには人が暮らした痕跡がそこら中にある。靴が落ちていたり、カーテンが木に引っ掛かっていたり、誰かの箸や茶碗、箪笥、ラジカセ、何度も出たり入ったりしたであろう玄関や、湯船に浸かって唄をうたった風呂釜、綺麗にレンガで囲われた花壇の跡がくっきりとある。

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「初めて取材に来られた時、小森さんはここから上がって来て、ここにあった階段を登って、この辺りで話しをしたんですよ」
Aさんが身振り手振りを交えながら話しをする。だが、僕には上手く思い出せない。
余りにも目の前の光景が苦し過ぎて……。ごめんなさい……。

一つだけ、ここがAさんのいた場所だと分かる痕跡を見つけた。サルヴェージ屋の象徴、ボンベ……。カメラを向けながら切なくなった……。

しかし、哀しんでばかりではない。Aさんは奥さんや息子さん、社員の皆さんと一緒に再び別の場所で会社をスタートさせた。実にささやかだが僕もバックアップさせて頂いている。新しい会社を見て驚いた。真っ白な事務所、広い敷地、資器材の詰まった倉庫、物凄い生命力を感じた。言葉にならないくらい嬉しかった。頼もしかった。泣けてきた。そして、反対に僕の方が力を貰った。

震災直後、病院から電話を掛けて来たAさん。あの時話した18枚の写真をいただいて来た。実は全部で26枚あった。残さなければ、伝えなければ、命を賭け、一途な思いだけで撮った壮絶な写真……、許可を頂いたので皆さんにもその一部をお見せしたいと思います。

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2011/11/22 火曜日

『家族の手術』

小森陽一日記 10:04:17

マイが手術をした。結構な大手術だった。麻酔が覚めて痛みが湧き上がったんだろう、病院からの帰り道、ゲージの中で「キューンキューン」と何度も鳴いた。娘はもらい泣きしてボロボロになっていた……。

ボーダーコリー、牧羊犬としてその名が響く通り、元々走るのが大好きな犬種だ。しかもジャンプ力もある。アジリティーの常連であるところを見ればその実力も分かる。いつものようにマイが庭を全速力で駆け回っていた時、突然「キャン!」と甲高く鳴いた。鳴き方が初めて聞く異常なものだったので、どうしたと慌てて近付いた。すると、左の後足を地面から離して立っていた。最初は捻挫でもしたのかと思っていた。すぐに近くの動物病院で診てもらうと、筋を痛めたのだろうという話だった。痛み止めと炎症を抑える薬を貰い、しばらく様子を見る事になった。

最初は動くのも億劫な感じだったが、その内、足を地面に付けて歩くようになった。小走りも出来るようになった。だが、以前のような走りはしない。ちょっとした段差でも引っ掛かる。そして、座った時、足がだらりと横に流れるようになった。やはりおかしい。別の病院に連れて行き、レントゲンを撮った。すると、十字靭帯が切れている事が分かった……。

歩けるようになったのは、筋肉が発達して靭帯をカバーしていたが為だった。しかし、このままではいつか歩けなくなるかもしれない。家族の脳裏には庭を駆け回るマイの姿がくっきりと残っている。もう一度、元のようにはいかないかもしれないが、せめて風を感じるほどに走らせてあげたい。だから、手術をお願いする事にした。

北九州にあるとある動物病院、この扉の向こうで手術をした。骨を削り、そこにプレートをはめ込むという大掛かりな手術だった。四人の獣医さんがチームを組んで、無事に手術を成功させてくれた。今はまだ福岡市内の病院で術後の経過を見守っている最中だが、この前顔を見に行った時はもう元気で動き回っていた。めちゃくちゃ安心した……。今週中には自宅に戻って来る予定だ。お正月が来る頃には以前と同じように散歩も楽しめるそうだ。

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一年と言葉に出して言うと、とても短くあっさりと感じる。しかし、一つひとつを思い起こしてみると、本当に沢山の出来事が詰まっている。今年も残すところ後一ヵ月とちょっと。しかし、まだまだ色んな出来事があると思う。散歩復活の日も、そんな出来事の中の一頁だ。

2011/11/15 火曜日

『その扉の向こうで』

小森陽一日記 10:31:56

東宝撮影所に行った。今年の六月以来だから五ヶ月振りか。あの頃は雨でも蒸し暑かったが、今は上着がないと寒い。それだけ季節は巡った。
  
新しく出来たピカピカのスタジオではなく見慣れた丸い屋根の方、古くて厳しいスタジオの前に立つ。No.9と書かれた重たい鉄の扉を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。巨大なプールに浮かぶ鉄の棺桶、いや、箱舟、いや……。

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「海猿4」、確かに今の邦画界でこれほどの規模の撮影が出来るのは他にないかもしれない。それくらいこのシリーズが育ったという証なのだろう。セットがリアルだとか巨大だとか言う前に、このテーマを小説でもマンガでもなく、実写化に挑めるという現実に驚く。埃と湿気の混ざり合ったスタジオの中に立ち、撮影風景を眺めながらそんな事を考えていた―――。

とは言え、役者さんには酷な作品だとつくづく思う。2を撮影していた時、ずぶ濡れの大塚寧々さんに、
「これまでに一番大変だと思った作品って何ですか?」
と質問をしたら、
「今」
と即答された。愚問だった。もう苦笑いするしかなかったもんな……。
それは今回もまったく一緒だ。役者さんの全身はずぶ濡れ、カットが掛かる度に恒例の海猿温泉に浸かる光景……。もう愚問はなしだ。
「風邪だけは引かないように気をつけて下さい」
心の中で「ゴメンナサイ」と思いつつ、言葉に出して言えるのはそれだけだ。

もちろんそれは羽住監督以下、大勢のスタッフにも言える。朝早くから夜遅くまで、水に浸かりながらの撮影は心底体力を奪われると思う。それでもスタジオの中は元気な声が響く。士気の高さには目を見張るものがあった。この空気感は必ずフィルムに映る。そんな魂が入り込むから、人はこの作品に魅かれるんだろう……。

来年の夏、この作品が大きな拍手を持って迎えられる事はもはや間違いない。その時を楽しみに待ちつつ、この作品と肩を並べるような新たな作品を生み出していこう、そう強く思った―――。

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2011/11/8 火曜日

『127球』

小森陽一日記 10:20:05

延長10回表、フェルナンデスが放った打球はレフトへと転がった。0対0の均衡が破れた瞬間だった。大写しになった鷹のエースの顔は顕かに引き攣っていた。その裏、勝利まであとストライク一つとした獅子のエースは、大きく腕を振ってボールを投げ込んだ。しかし、長谷川がそれを振り切る。ボールはライトへ抜け、ランナーがホームへ返った。決して感情を表に見せない獅子のエースががっくりとうなだれた。この日、両エースが投じたボールは共に127球。このシナリオは間違いなく野球好きの神様が書いたものである。そう思わない事には説明が付かない――。

野球は確かに好きだ。だが、三度の飯より好きな訳ではない。ルールはそれなりに分かる。各球団の主力選手もだいたい分かる。ホークスの選手ならばもっと分かる。しかし、キャッチーのリードや細かい作戦となると、全くついていけない。その程度のファンである。

11月5日、日本シリーズ出場へ王手を掛けた鷹のエース、杉内と、もはや一敗も出来ない窮地に追い込まれた獅子のエース、涌井。CS第三戦は両エースの意地のぶつかり合いとなった。
「今シーズン最高と言ってもいいくらいの試合」
試合後、多くの解説者や新聞、ネットではそう評されていた。僕はテレビ観戦をしていたのだが、この投手戦に息もつけないほどハラハラなんかしてはいなかった。むしろ、腹が立ってさえいた。今シーズン、杉内はいいピッチングをしても打線の援護に恵まれない事が多かった。そして緊張の糸が切れたように打ち込まれ、失点し、降板する……。何度となくそんな光景を見て来た。だからこの日もリプレイのような展開に溜息を付き、一度はテレビを消したほどだった。
「あぁ、負け試合だな……」と―――。

シャワーを浴び、冷えた麦茶を飲み、一息ついたらやっぱり気になって再びテレビを付けた。すると、涌井がランナーを背負い、あとストライク一つというところで長谷川に打たれたシーンを目の当たりにしたのである。なんとも信じられない光景だった。だが、試合後に両者が投じた球数を知って呆然とした。同じ127球……。ホークスがついにCSを突破した事よりも、127球という数字が頭にこびりついて離れなかった。

(もしもこんな物語を書いたとしたら、人は感動してくれるだろうか?)
「出来過ぎだよ」と一笑に付されるような気がする。僕自身もあまりに出来過ぎな気がして、こんな話は書けない。いや、書かない。だが、現実は違う。こんな、物語でも書かないような事が起こる。起ってしまうのだ。そして、震えるほどに感動させられる……。それがスポーツだと言ってしまえば簡単だ。筋書きのないドラマだからこそと思えば、頷きも出来る。だが、やはり僕は誰かの介在を疑う。これは野球好きの神様が書いたシナリオであると。きっと、いや、絶対そうに違いない。

はてさて、この神様は日本シリーズにどんなシナリオを用意しているのか? 創作家として興味津々である。

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