『2011.3.11』
午前中、小説を書き進めていた。新たな展開、それに伴うアイディアも浮かび、筆はいつも以上に走った。少し遅いお昼を妻と一緒に取る。久し振りにピザの宅配を頼み、お気に入りのマヨネーズ味を楽しんだ。そして午後、今度は別の原稿に取り組む。幾つか連絡事項もあったのでメールのやり取りもしていた。その中の一つに「今、大きな地震がありました」という一文があった。テレビを点ける。ヘリからの空撮映像が飛び込んで来た。真っ黒いものが地を這うようにして田畑や家を飲み込み、行き交う車を巻き込んでいく。しばし呆然と立ち尽くしてその映像を見つめた………。
何一つ予兆なんてなかった。いつもと変わらない風景、他愛のない会話、仕事場の窓から空を見上げてぼんやりと物思い。本当に何一つ予兆なんてなかった。きっとほとんどの人がそんな一日を過ごしていたに違いない。11日の午後2時46分に人生が一変するような事が起るなんて想像もせずに――――。
「我が名は海師」、この作品を全力で支えてくれたご夫婦が東松島市野蒜にいる。訪れた僕と担当のKくん、そして武村くんを温かくもてなしてくれた。昨年末のお歳暮には、発砲スチロールに氷詰めされたサンマを山のように送っていただいた。「こんなに沢山食べきれませんよ!」、そう言う僕に特徴のある濁声で近況を伝えてくれた。どれもがいい報告ばかりで、僕はその時、「最高の流れですね」と言った。それがこんな事になるなんて………。
何度も連絡をするが携帯も自宅の電話も繋がらない。知り合いに近況を尋ねても分らない。そんな時、武村くんから連絡があった。ご夫婦ともに生きてます。その言葉を聞いた瞬間、膝の力が抜けた。東松島市の壊滅的な映像を何度もテレビで見た。まさかと思い、もしやとも思った。生きていてくれた。また会える。本当に良かった。
今、日本のあちこちで沢山の涙が流れている。親、兄弟、知人を失った哀しみの涙、絶望の淵から奇跡の再会を果たした感激の涙、そして、テレビ、ラジオ、新聞でそれを見つめ、祈りと共に溢れる涙………。どれほど多くの涙が流れ、これからも流れ続けるのか分らない。
そんな中、涙を振り絞って懸命に救出活動をしている人達がいる。警察、消防、海保、自衛隊。沢山の知り合いからメールが届く。地獄の方がまだましだと思えるような破壊の世界で、必死に灯火のような命を見つけようとしている。僕は彼等全てに全身全霊でエールを送る。
何かをしたいと思っている人は無数にいると思う。自分のペースで、小さくてもいいから、身近なところからやればいいと思う。僕もそのつもりだ。力を合わせればとてつもない大きな力となる。始まりの予兆はなかった。しかし今は確かなものを感じる。日本人の底力は津波より遥かに大きなうねりを生む。