『全てを停止させる狂著』
まったくおっそろしい本があったものだ。読み出すと全ての事が手に付かなくなる。続きの事ばかりを考え、何をしていても上の空。次第に睡眠時間は削られていき、身体が不調を起こす。だが、やっぱり無視出来ない。手に取らずにはおれない。そしてまた今夜も白々と夜が明ける……。
スティーグ・ラーソンの処女作にして絶筆、「ミレニアム」。第一部「ドラゴン・タトゥーの女」、第二部「火と戯れる女」、第三部「眠れる女と狂卓の騎士」を遅まきながら読了した。ストーリーもさる事ながら、著者がどうやってこれほどの情報を集め、まとめ、表現出来るのか、気になって仕方がなかった。スゥェーデンの政治、経済、地理は言うに及ばず、盗聴やハッキングまで網羅するパソコンの深い知識、雑誌社や新聞社の内幕、警察の捜査の仕方、弁護士や検事の法廷での戦い方、秘密のベールに包まれた公安組織の動き、そして美味しいコーヒーが飲める街角の店まで、兎に角ありとあらゆる事を知っている。その桁外れの取材力、知識力に強く惹きつけられた。だから、著者の妻(法律的に云々ではなく、普通の感覚ではこの人は妻だ)エヴァ・ガブリエルソンが書いた「ミレニアムと私」もすぐに手に取った。
「ミレニアム」を書くにあたってほとんど取材はしていないという事に愕然とした。
『誰もが生涯に一冊は傑作を生み出せる』
誰の言葉だったか忘れてしまったが、そんな感じのフレーズを覚えている。自分の人生に起った体験や経験はスペシャルだ。家族や友人と日頃どんな話をしているか振り返ってみれば分かる。自分の見聞きした事、想い出、感想、話題の大部分はそれらで成り立っている。スティーグ・ラーソンもエヴァ・ガブリエルソンと一緒に様々な体験をし、沢山の話をしてきた。喜びや怒りや悲しみ。希望や失望。夢。三十年という年月の中で色々な事が蓄積され、やがてその結晶として「ミレニアム」が生まれていった。この作品は創作物でありつつも、ある意味二人の自伝でもある。
ここには二人分のスペシャルな人生譚が詰まっているのだ。それはもう大傑作な筈である。
もちろん、スティーグ・ラーソンが一発屋だったなどとは毛頭思わない。この凄まじいとしか言いようのない物語を紡ぐ力は尋常じゃない。はっきりいって規格外だ。出来れば「ミレニアム」の続きを、そして新たな物語を幾つも読んでみたかった。でも、もうそれは出来ない。
神様は時として本当に残酷な事をする。圧倒的な才能に恵まれた人をふいに神の国へと連れ去ってしまう。スティーグ・ラーソンは50歳という若さで突然この世を去った。心筋梗塞だった。「ミレニアム」が出版された事も、その後ドラマ化、映画化され、世界中の人が魅了された事も彼は知らない……。