2013/1/22 火曜日

『震災の語り部』

小森陽一日記 14:15:22

まだまだ列島は寒い日が続いている。北海道や東北、関東甲信越は連日の雪。先週は東京でも雪が積もった。福岡でも霙交じりの雪が舞った日、僕は築城基地を取材で訪れていた。雪で霞む風景の向こうに薄っすらと浮かぶ戦闘機は、いつもとは違ってなんだか幻のように見えた。そして、震災報道で見た松島基地の景色をふと思い出した。

201301221.jpg

いつもとは違う光景……。震災はまさにそうだ。何もかもが見慣れた光景と一変する。本当に恐ろしい。阪神淡路大震災から今年で18年。東日本大震災からは1年と10ヶ月。神戸は美しい風景を取り戻したが、東北の被災地はいまだ深い傷跡のままだ。

先日、Aさんが宮城からやって来た。福岡県古賀市の市民ホールにて講演をする為だ。サルヴェージダイバーであり、「我が名は海師」を支え続けてくれた人。東松島市の野蒜で津波に襲われ、自宅と事務所を失い、自らも奥さんと共に自宅の屋根に乗って流された。雪の舞う中、川を遡上する二人の姿を報道番組でご覧になった方も多いだろう。今はサルヴェージの仕事の傍ら震災の語り部として、招かれたところで話しをされている。
「小森さん、僕はね、生かされたと思うんですよ。そんな気がするんですよね」
Aさんは以前、こんな事を言っていた。「生きた」ではなく「生かされた」。語り部となる決意をされたのは、生かされた者の役割だと思い定められたのではないかと思う。

201301222.jpg

話しは耳にではなく心に訴え掛ける内容だった。海に携わる仕事をしていた自分が、いかに海を過信し、慢心に陥っていたか。そして、あの日突然襲い掛かって来た巨大な水の壁。その凶暴な光景を目の当たりにしても尚、どこか現実に思えなかった……。やがて津波は何もかもを奪い去った。何よりも堪えたのは、子供の頃から住んでいた場所が危険指定区域になり、もう二度と戻れなくなってしまった事。自分の存在があやふやなものに変わってしまった気がした。だから、福島の人達の気持ちが痛いほど分かる。生まれ育った場所を失うという事は、身体の一部をもぎ取られるのと同じ事だ。災害はいつ何時襲い掛かってくるか分からない。自分は大丈夫、自分のところは来ないだろう。そんな思いはすぐに捨てて、災害に対する意識を高めて欲しい。
「私と同じような経験はして欲しくありませんから」
Aさんは映像や写真を交えて約90分、一人で語り続けた。時に力を込め、時に涙ぐみながら……。言葉と想いは会場の人々に間違いなく届いたと思う。

201301223.jpg

Aさん、お疲れ様でした。今度は奥さんやご家族を交え、ゆっくりとご飯でも食べながら色んな話しをしましょう。

201301224.jpg

(C)CopyRight Yoichi Komori All rights reserved.