こんな記事を見つけた。見出しは「死刑囚の父へ「生きて償いを」。実父が実母を浴槽で溺死させた事件(その2年前には養父も事故に見せかけて殺害、多額の保険金を受け取っていた)。死刑囚の名は大山清隆、インタビューに答えたのは実子である大山寛人氏、24歳。
事件があったのは小学6年生の時、お母さんは誤って海に落ちたと教えられていたそうだ。だが真相は車の事故を装って岸壁から海へと沈められていた。事実を知ったのは中学2年生の時、父親が逮捕されてからの報道だったと言う……。それから寛人氏の人生は荒れ、高校は3日で辞め、あちこちを点々とし、風邪薬を600錠も飲んだとある。多分、自殺を考えていたんだろう……。
父親に死刑判決が出て初めて拘置所へ。最初はボロクソに言うつもりだったそうだが、直接事件の動機を聞くにつれて「一緒に生き、考え続けて欲しい」と思うようになった。二審では証人として出廷し死刑回避を訴えた―――。
寛人氏は言う。
「自分も家族を殺されたら相手を殺したいと思う。だから死刑反対とは言えない。正解はない。でも、遺族が望まない死刑って何なのでしょう」
大切な人を奪われた経験など僕にはない。だから、被害者の心境はどんなに思い巡らせても分からない。昨日起った大阪の通り魔事件、死刑になりたいからと言う理由で全く見ず知らずの人の命を奪った男。こんな奴は殺せばいいと思う。さっさと、すみやかに、確実に処分すればいいと本気で思う。異物は恐ろしい。何を考えているか、何をしでかすか分からないから。いつ、自分や自分の身内に刃を向けて来るかもしれないから。だから排除したい。本能的に振り切れた考えになる。年齢など無視して、何人殺したかなんて関係なく、直ちに死刑にして欲しい。
でも……被害者の言葉に時々ハッとする事がある。
「S」を書くきっかけの一つになったのも、ある被害者の言葉だった。子供の命を理不尽に奪った犯人を死刑にする事だけを考えて生きて来た両親、ついに犯人が死刑になった後、心の中にぽっかりと穴が開いた。この時初めて本当の意味での終身刑を考えるようになった――とあった。
犯人に望む事。
「生きて償いを」
この言葉が被害者から出る。その事実に僕は呆然とした。
寛人氏もこう述べている。
「共感は出来ないと思う。でもこういう意見がある事は知って欲しい」
小さくてか細くて消え入りそうな声。僕等はその声にもっと真摯に耳を傾けるべきだと思う。そして、本当の意味での絶対終身刑を考えて欲しい。被害者がその後、生きていく為に。死刑か終身刑か、それはただひたすらに被害者が生きていく為に選ばれるべきだと思う。
そして、その為には加害者を生きて捕まえなければならない。しかし、「S」を手に取った中には激しい拒否反応を示す人もいる。
「極悪犯を生かして掴まえるなんて有り得ない」
「こんな奴はさっさと殺せばいい。生きている価値などない」
「お前の作品など二度と読まない」
極悪犯などさっさと殺せばいい。それは分かる。僕もそう思う。だが、直接被害を被った人達の中にこんな意見があるのも事実なのだ。
「生きて償いを」
部外者ではなく被害者の思いこそ何よりも優先されるべきだと僕は考える。
「S」も沢山の矛盾を孕んでいる。まだまだ想いが、考えが、上手く伝わらない部分もある。それでもこの作品は諦めずに書き続けていきたい。苦しいけれど……。
きっとこの作品を手掛ける事になった理由がある筈だから。
※ 6日10日朝刊の朝日新聞社の記事より抜粋。
追記
最後に少しほっとする日常を。
最近のマイ、昼間はウッドデッキの下がお気に入り。土に穴を掘って休んでいます。
犬って穴掘りが大好きなんだなぁ。
この顔見てると癒されます。