2012/2/14 火曜日

『あんこう鍋を前にして考えた』

小森陽一日記 10:32:18

先日、Tさんと夕食を共にした。僕のブログを一手に引き受けているのがTさんの会社であり、彼はそこの社長さんなのである。ぱっと見人相は悪いが、円らな瞳がとてつもなく強力な印象を残す。しかも律儀だ。見た目と中身のギャップがある、という事は間々ある事だ。

さて、そんなTさんと食事をした所は、これまた知り合いのYくんが切り盛りしている「珍や」というお店。友人と、仕事のメンバーと、家族と、時々この店を使わせてもらっている。兎に角この店は肉だ。なんといっても肉。もちろん肉だけではないが、肉ならほんとに何を食べても美味い。嘘だと思うのなら是非ともお試しあれ!だ。……だが、この日は肉じゃなかった。もちろん肉もちょこっと食べたが、「いいアンコウが入ったんで鍋でもしましょうか」とYくんに提案された。アンコウ鍋、僕はあまり馴染みがない。でも、ものは試しだ。「食べる」と答えた。

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骨の付いたアンコウの身とアンキモと卵。身は白ネギや椎茸や豆腐と一緒に鍋の中でぐつぐつ煮る。頃合を見て酢醤油で食べると、ぷりっぷりの弾力に驚かされる。こりゃもうコラーゲンの塊だ。おっさんが食うには申し訳ないな。女性陣はさぞかし堪らんだろう。キモはしゃぶしゃぶ状態にして、さっとお湯にくぐらせて食べる。とろーんと口の中で蕩けるのが凄い。黄色い帯状の卵もしばらくお湯に付けてパクリ。とろりザラリ、妙な食感が口の中に広がる。慌てて飲み込んだ。だが総じて美味い。これまた見た目と中身が違う典型的な例だろう。ギャップのある人とギャップのある魚を食べる。実におかしな夜である。

さて、ここでタイトルに戻る訳だが、一体誰がアンコウを最初に食べたのか? お店でこうしてアンコウが出て来るから食べ物だと認識するけれど、魚釣りをしていてコイツが吊れたらまず僕は食べようという気にはならん。道路で車に轢かれたヒキガエル、はたまたツインテールみたいな顔だし……。お世辞にも食欲をそそるような面構えじゃない。調べてみると、アンコウが最初に日本の書物に出て来るのは室町時代だそうだ。その時から食べていたのかどうかは分からないが、江戸時代になるとこれが珍味になる。高級食材としてしっかり食べられている。室町から江戸の間にアンコウを食った奴がいるのだ。
  
動物でも魚でも鳥でも植物でも、最初に知らないものを食べるのは相当勇気がいる、と思う。メチャクチャ美味いかもしれない。でも、もしかすると病気になったり、下手すると死ぬ事になるかもしれない。実際、食文化の歴史というのは知らないものを食って当たったり死んだりした人が切り開いて来たもんじゃないかと思う。戦火の英雄でもなく、悲劇のヒロインでもなく、大発見をした大学者でもなければ国を覆すような革命家でもない。多分、それは名も無き人達だ。歴史に名前なんか残らない普通の人達。今僕等が食べている色んな食材は、そうした人達の人生を賭けた一か八かによって成り立ってるんではなかろうか。そう考えるとなんか儚くて奥深くて、ついでに人間の底抜けの食い意地に涙と拍手を送りたくなる。

名も無き先人達よ、アンタはエライ! 歴史の教科書に載ってる奴(大半は胡散臭い)よりもアンタ達の方が何倍もエライ! ありがとう!!

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