2011/11/29 火曜日

『野蒜へ……』

小森陽一日記 11:53:58

仙台空港へ降り立つ時、飛行機の窓から見た光景が余りにも変わり果てている事にショックを受けた。あんなに青々としていた松林が今はほとんど枯れ果て、茶色い姿を晒していた……。
この日僕はAさんに再会した。お互いに言葉にならない言葉を交わして頷き合った。

Aさんの車に乗って一路野蒜へと向かった。やがて、Aさん夫妻が家屋ごと7kmも流された吉田川が見えて来る。
「この川ですか……?」
「そう。この川です」
テレビの特集番組で見たあの光景。横殴りの雪の中、家屋の残骸に佇んで川を遡って行く二人の姿を思い起こす。だが、目の前の、夕日に照らされて穏やかに流れる川が同じ川だとはどうしても思えない。その光景が一向に重ならない。

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しかし、車が公民館の駐車場で停まった時、光景は一変した。まるでゴジラが尻尾で薙ぎ払ったかのように、一階部分が剥ぎ取られていた……。僕は建物がこんな風に壊れた様を見た記憶がない。

Aさんの後を付いて歩いて行く。どんどん言葉が出なくなる。人の暮らしが完膚なきまでに破壊された様を見ると、こんなにも息苦しく感じるものなのか……。いっそ何もかもなくなってしまえば、さっぱりもするのかもしれない。しかし、ここには人が暮らした痕跡がそこら中にある。靴が落ちていたり、カーテンが木に引っ掛かっていたり、誰かの箸や茶碗、箪笥、ラジカセ、何度も出たり入ったりしたであろう玄関や、湯船に浸かって唄をうたった風呂釜、綺麗にレンガで囲われた花壇の跡がくっきりとある。

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「初めて取材に来られた時、小森さんはここから上がって来て、ここにあった階段を登って、この辺りで話しをしたんですよ」
Aさんが身振り手振りを交えながら話しをする。だが、僕には上手く思い出せない。
余りにも目の前の光景が苦し過ぎて……。ごめんなさい……。

一つだけ、ここがAさんのいた場所だと分かる痕跡を見つけた。サルヴェージ屋の象徴、ボンベ……。カメラを向けながら切なくなった……。

しかし、哀しんでばかりではない。Aさんは奥さんや息子さん、社員の皆さんと一緒に再び別の場所で会社をスタートさせた。実にささやかだが僕もバックアップさせて頂いている。新しい会社を見て驚いた。真っ白な事務所、広い敷地、資器材の詰まった倉庫、物凄い生命力を感じた。言葉にならないくらい嬉しかった。頼もしかった。泣けてきた。そして、反対に僕の方が力を貰った。

震災直後、病院から電話を掛けて来たAさん。あの時話した18枚の写真をいただいて来た。実は全部で26枚あった。残さなければ、伝えなければ、命を賭け、一途な思いだけで撮った壮絶な写真……、許可を頂いたので皆さんにもその一部をお見せしたいと思います。

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