2011/3/29 火曜日

『ヂカイイ』

小森陽一日記 13:07:09

間違いなく自分の人生で三本の指に入る一日だった………。
何がって、お喋りだ。
常日頃、じっと机に向かってものを書く商売なもんだからそんなに喋る事はない。
妻や娘、打ち合わせの電話、独り言を全部合わせたとしても6時間もないと思う。
お昼12時半から夕方までは「S」の打ち合わせ。夕方から夜中の12時過ぎまでは講演の打ち合わせと本番と食事会。
この日は12時間喋り通しだった。
途中で喉がヒリヒリしてきて、切れたのかと思った………。

先日、「ヂカギキ」というイベントに出席させていただいた。文字通り、人の話を「ヂカ」に「キク」というコンセプト。だから僕は、僕自身の事、仕事の事、そして、取材で知り合った警察・海保・消防のレスキューマン達から連日届く、大震災の最前線からのメールや写真などを紹介した。

沢山のお客さんの前で話しをするのはかなりのパワーを要する。120分を越えるとなると尚更だ。しかし、司会の小柳さんが素晴らしかった。巧みな構成と右に左に自在に振られる話術に乗せられて、気がつけば150分を喋り切った。

終った後、スッキリしている自分にちょっと驚いた。これは何も頭を使っていない証拠だ。特別気取る事もなく、小難しくなる事もなく、普段通りの言葉で常日頃考えてる事をありのままに話したからだ。友達と夢中になって話した後に似た心地よさだった。

僕の作品は「ヂカギキ」で成り立っている。決して「マタギギ」や「検索」では生まれないものがある。だから僕は会いに行き、顔を見て話す。その時の天気、匂い、光の加減、ちょっとした冗談、そんなものまで全部ひっくるめて吸収する。それがやがて発酵して一つの作品になる。―――なんてね、そんな事を「ジカイイ」した夜だった。

小柳さん、スタッフの皆さん、そして会場を訪れてくれた沢山の皆さん、ありがとうございました。これからも沢山の話しを聞いて作品作りに邁進します。楽しみにしていて下さい!

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2011/3/22 火曜日

『18枚の写真』

小森陽一日記 11:21:57

夕方、僕の携帯が鳴った。表示された名前を見てハッとした。東松島市野蒜のAさんだった。震災から10日目、ついにご本人の声を聞く事が出来た。
  
正直、僕は「よかった………」としか言ってないと思う。その言葉を何度も何度も繰り返した気がする。しかしAさんは確かな声でその時の状況を話してくれた。
「津波で5km流されました………。それで、あばら骨が折れてしまって………」
でも、そんな身体でも遺体の収容を手伝っていると言う。
「川底に………まだ沢山の遺体が沈んでるんです………」
警察や消防や自衛隊と混じって、懸命に遺体を冷たい水から運び出しているAさんの姿が浮かぶ。泥だらけで痛みに耐えながら作業を続ける姿が浮かぶ。
「妻はお年寄りや被災した子供達の世話をして走り回ってます」
そう、そんな人達なのだ。

「………人が亡くなる時って………親しい者の名前を呼んで………事切れるんですね………」 
僕は返す言葉を失う。生き残った人は一体何人の最後の言葉を耳にした事だろう。決して消えない言葉。それはあまりにも辛くそして重い………。
「それでも私は………必ず仕事に復帰します………。必ず戻ってみせます」
「僕も全力でバックアップします!」
「いや………小森さんの声を聞けただけで………力が戻って来ました!」
そんな訳ない。なのにそんな風に元気な声が返って来る。この人は本当に強い、僕は心底そう思った。

だが、そんなAさんの声にふいに涙が混じる。
「避難している最中………必死で………18枚の写真を撮りました。それを小森さんに渡します。………いつか、小森さんの手で………この事を物語にして下さい………」
あの日起こった真実を伝えようとして、文字通り命を掛けて撮った18枚の写真。それはまさに命そのものだ。命を託されたのと同義だ。
「分りました。必ず取りに伺いますから!」
僕ははっきりとそう応えた。

遠くない日に必ず会いに行こう。そしていつの日か、何年先になるか分らないが、きっといつの日かその物語を綴ってみよう。

2011/3/15 火曜日

『2011.3.11』

小森陽一日記 14:12:50

午前中、小説を書き進めていた。新たな展開、それに伴うアイディアも浮かび、筆はいつも以上に走った。少し遅いお昼を妻と一緒に取る。久し振りにピザの宅配を頼み、お気に入りのマヨネーズ味を楽しんだ。そして午後、今度は別の原稿に取り組む。幾つか連絡事項もあったのでメールのやり取りもしていた。その中の一つに「今、大きな地震がありました」という一文があった。テレビを点ける。ヘリからの空撮映像が飛び込んで来た。真っ黒いものが地を這うようにして田畑や家を飲み込み、行き交う車を巻き込んでいく。しばし呆然と立ち尽くしてその映像を見つめた………。

何一つ予兆なんてなかった。いつもと変わらない風景、他愛のない会話、仕事場の窓から空を見上げてぼんやりと物思い。本当に何一つ予兆なんてなかった。きっとほとんどの人がそんな一日を過ごしていたに違いない。11日の午後2時46分に人生が一変するような事が起るなんて想像もせずに――――。

「我が名は海師」、この作品を全力で支えてくれたご夫婦が東松島市野蒜にいる。訪れた僕と担当のKくん、そして武村くんを温かくもてなしてくれた。昨年末のお歳暮には、発砲スチロールに氷詰めされたサンマを山のように送っていただいた。「こんなに沢山食べきれませんよ!」、そう言う僕に特徴のある濁声で近況を伝えてくれた。どれもがいい報告ばかりで、僕はその時、「最高の流れですね」と言った。それがこんな事になるなんて………。

何度も連絡をするが携帯も自宅の電話も繋がらない。知り合いに近況を尋ねても分らない。そんな時、武村くんから連絡があった。ご夫婦ともに生きてます。その言葉を聞いた瞬間、膝の力が抜けた。東松島市の壊滅的な映像を何度もテレビで見た。まさかと思い、もしやとも思った。生きていてくれた。また会える。本当に良かった。

今、日本のあちこちで沢山の涙が流れている。親、兄弟、知人を失った哀しみの涙、絶望の淵から奇跡の再会を果たした感激の涙、そして、テレビ、ラジオ、新聞でそれを見つめ、祈りと共に溢れる涙………。どれほど多くの涙が流れ、これからも流れ続けるのか分らない。

そんな中、涙を振り絞って懸命に救出活動をしている人達がいる。警察、消防、海保、自衛隊。沢山の知り合いからメールが届く。地獄の方がまだましだと思えるような破壊の世界で、必死に灯火のような命を見つけようとしている。僕は彼等全てに全身全霊でエールを送る。

何かをしたいと思っている人は無数にいると思う。自分のペースで、小さくてもいいから、身近なところからやればいいと思う。僕もそのつもりだ。力を合わせればとてつもない大きな力となる。始まりの予兆はなかった。しかし今は確かなものを感じる。日本人の底力は津波より遥かに大きなうねりを生む。

2011/3/8 火曜日

『クランクイン』

小森陽一日記 11:02:15

先週、雪の舞う広島で「DOG×POLICE」、無事にクランクインを致しました。一端暖かくなった後に寒くなると、なんだか余計に寒さが染みて来ます。スタッフ・キャスト、それにエキストラの皆様、本当にお疲れ様でした。

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僕は2日の夕方に広島入りして集英社のTさん、ツインズの下田P、日テレの佐藤Pと合流、今後の事などを色々と打ち合わせしつつ脱線しつつで、静かに夜は更けていきました………。
 
翌日クランクインの為、さすがに夜は引っ張りまわせません。七高監督とは翌朝現場で挨拶をしました。七高監督は「ガハハ」と気さくによく笑う人です。あの「ガハハ」は魔力であり魅力であり、一度聞いてしまうとしっかりと耳に残り、なんだかこっちまで笑顔になってしまいます。最初は「海猿」で助監督をされていた頃にお会いしました。それが今度は監督としてお会い出来るなんて………。ほんとに嬉しいです。
  
突然監督からカチンコを持たされカメラの前へ立たされました。メイキング用に使うカットとの事。その昔むかし、一度はカチンコを叩いた身、なんとも懐かしい感触でした。物凄く嬉しそうな顔をしていたのでしょう。後から下田Pと佐藤Pに冷やかされました………。

3日のお昼まで現場におりましたがそこでタイムアップ!結局隼人くんとは入れ違いになってしまいました。お土産を預け、今度はじっくりとことん話し込もうと伝言を残し、広島を離れました。

5日の爆破カットはとてもいい画が撮れたと報告を貰いました。広島の関係者の方の温かい協力があったからこそ撮れたカットです。この場をお借りしてお礼を言わせて下さい。ご協力、本当にありがとうございました。映画の完成をどうか楽しみに待っていて下さい。

映画の現場はやはり楽しいです。どうにかこうにか仕事の隙間を見つけ、また現場へ足を伸ばしたいと思っています。その時の報告はまたここで!

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2011/3/1 火曜日

『ゲストティーチャー』

小森陽一日記 13:26:20

先週、娘の通う小学校で講演をした。ゲストティーチャーという役回りだった。間もなく卒業を迎える六年生を対象に、仕事、夢、思いなどをテーマとして話して貰いたいと言う。当初担任の先生が僕の出馬を相談した時、娘は頑強に断ったそうだ。僕にも「受けないで」と言って来た。それはそうだろう。自分の父親がみんなの前で色んな話をする。きっと後で色んな事を言われる。なんと言っても多感な時期だ。理解は出来る。だから一度はお断りした。しかし、何度か先生と娘が話をする内に熱意が伝わったのだろう。娘が折れた。「その代わり――」と僕の顔を真顔で見つめて言う。「絶対変な事言わない。ウケも狙わなくて言い。変な格好もして来ないで!」事細かな注文が付いた。

マンガ、小説、映画など、物語を作るという事は、こんなに色んな事をするんだよ………なんて口で説明しても中々伝わらない。だから、CXの臼井Pや日テレの佐藤Pから頂いた「海猿」や「252」のプロモーション映像、新作アニメの蔵出し映像をスクリーンで流し、ロケ現場のスナップで映画の作り方を解説した。また、脚本や久保ミツロウのネーム、アニメの画コンテ、様々な原作などを持参して子供達に直に触れさせた。

数日後、子供達から沢山の感想を頂いた。作品作りの苦労や楽しさはもちろん、僕が話した言葉の細部までよく覚えて記してくれていた。何より、「忙しい中、来てくれてありがとうございました」という感謝の言葉が無数に綴られていた事に感激した。芯からやって良かったと思った瞬間だった。

その講演のラスト、新作の話をした。「DOG×POLICE」だ。首輪を取り替える事で性格や行動が変化する警備犬、その話を聞いた時、グッと興味を魅かれた事を今でもはっきりと覚えている。もう7年ほど前、新宿の居酒屋での事だった。
それから紆余曲折あったが、佐藤P、下田P、そして七高監督、何より脚本の大石さんが本当に頑張ってくれたおかげで、いよいよスタートを切れる事になった。ここからは警備犬を演じるシロと、早川勇作を演じる市原くんの登場だ。もうどんどん昇って行くのみ、ゴールまで突っ走ってくれると120%の思いで信じている。

子供達はこの映画が公開される時、中学生になっている。あん時小森のおじちゃまが話した事を思い出し、沢山の人が関わって作られた作品に思いを馳せて、「DOG×POLICE」を存分に楽しんで欲しい。

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