沖縄の松風苑、言わずと知れた金城哲夫氏の生家です。ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンの産みの親、僕はこの金城哲夫という偉大なクリエーターに一体どれだけの影響を受けているのか、自分でもよく分からないのです。ただ、はっきりと言えるのはウルトラに触れていなければ今の僕はいなかったという事、テレビの前にカセットデッキを置き(当時はビデオなんてものすらなかった)、30分間はおしゃべりするなと家族にきつく言い渡し、テープに取ったセリフを1話1話ノートに書き起こしてストーリー集を作った少年日………。ウルトラが僕の基礎を作りました。そしてその基礎は金城哲夫氏が作り上げたのです。
「沖縄に行ったら「うりずん」から始めるといいよ」
金城氏の盟友、そして僕の尊敬する脚本家、上原正三氏の勧めで「うりずん」へ行きました。薄暗い座敷の中で沖縄料理と泡盛を口にしていると、五体に沖縄が染み込んでいく感じがしました。それがなんとも心地よく………、なんだろう、なんだかとても大らかで優しい自分が表に出て来ているような不思議な感覚を受けました。
しかし、翌日の松風苑訪問はさすがに緊張しました。
『自分ごときが踏み込んでいい場所なのか?』
訪問する事が決まってからも、ずっとそんな想いが頭から離れませんでした。タクシーが松風苑の前に着いた時、その想いはピークに達しました。とてつもなく立派な門構え、ぐっと気圧されそうになります。
「さぁ行きましょう」
そんな僕の想いを察してくれたのでしょう、桜井浩子さんが声を掛けてくれました。
桜井さんがいなければ僕はここには来なかった、いや、来れなかったと思います。
金城家の方々にお会いしました。哲夫氏の奥様、裕子さん、弟の和夫さん、息子の京一郎さん、奥様の智子さん、そして京一郎さんの子供達―――。やがて和夫さんに誘われて離れにある書斎へと向かいました。
風通しの良い書斎、真ん中に机があり、その上には金城哲夫箋と書かれた原稿用紙が乗っていました。何も書かれていない原稿用紙、知らずの内に僕はその用紙を指でなぞっていてハッとしました。壁に貼られた金城さんの大きな写真、黙って僕を見つめておりました………。
京一郎さんの運転で和夫さんと一緒に金城さんのお墓参りに行きました。住宅街の奥、車を降りて丘のようなところを登り、周りを木に囲まれた場所に金城さんは眠っていました。黙って手を合わせ、僕は静かに想いを伝えました。
海にも行きました。かつて金城家の別荘だった場所、
「兄貴はここが好きだった………」
そう和夫さんが教えてくれました。白い砂浜とコバルトブルーの美ら海です。金城さんはここで、この景色を眺めながら創作をされていたそうです。ただただ綺麗な海、理屈も理由も何も無い、ただただ綺麗な海がそこには広がっていました。
松風苑で腹いっぱいのご飯をいただきました。なんと休暇で沖縄を訪れた藤堂くんも合流し、泡盛を飲みながら和夫さんの美声に耳を傾けました。途中から桜井さんも唄に加わり、なんとも贅沢な夜が更けて行きました――――。
金城家の皆様、本当にありがとうございました。こんなに温かく迎え入れていただいて感謝の言葉もありません………。金城さんの意志をしっかりと継いでいきます。これからも色んな作品を作って参ります。
ありがとうございました。
追記
円谷プロのOさん、Kさん、支えていただいてありがとうございます。飯島監督、上原正三さん、沖縄はとてつもなく優しかったです。ありがとうございました。