2010/9/28 火曜日

『はい、しっかり届きました』

大切な友人である佐藤Pの新作、「君に届け」が9.25、いよいよ公開となりました。迷わず観て下さい。必ずぐっと来ますから。40超えたオッサンが心揺さぶられたからね………、そういう意味ではとてつもないパワーを孕んだ作品です。

椎名さんの原作マンガ、もちろん読んでます。でも、僕が買って来たら先に嫁と娘が手に取っちゃった。読んだ先からじゃんじゃん展開を話されて非常に口惜しい思いをしました。

椎名さんの世界、受けるの分かります。ほんとにホッとする………。読みながらそのままウトウトと眠れる(決してつまんないからではありません!)。安らかさって言うのかな、ほんとに温もりの詰まった世界です。

そんな「君に届け」が実写化されました。先日、爽子役の多部美華子ちゃんと風早役の三浦春馬くんに会ったんだけどまさにピッタリ!2人に差し入れで本をプレゼントしたんだけど、春馬くんが「俺、この役やりたいっ!」って言ったら多部ちゃんが「じゃあ私はこの人!」って………。控え室が一瞬教室になったかのような錯覚を覚えました。2人とも本当にキラキラしてて作品世界そのものという感じがしました。

この作品、無条件にいいです。僕からのお勧めです!!

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『松風苑へ』

小森陽一日記 11:18:51

沖縄の松風苑、言わずと知れた金城哲夫氏の生家です。ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンの産みの親、僕はこの金城哲夫という偉大なクリエーターに一体どれだけの影響を受けているのか、自分でもよく分からないのです。ただ、はっきりと言えるのはウルトラに触れていなければ今の僕はいなかったという事、テレビの前にカセットデッキを置き(当時はビデオなんてものすらなかった)、30分間はおしゃべりするなと家族にきつく言い渡し、テープに取ったセリフを1話1話ノートに書き起こしてストーリー集を作った少年日………。ウルトラが僕の基礎を作りました。そしてその基礎は金城哲夫氏が作り上げたのです。

「沖縄に行ったら「うりずん」から始めるといいよ」
金城氏の盟友、そして僕の尊敬する脚本家、上原正三氏の勧めで「うりずん」へ行きました。薄暗い座敷の中で沖縄料理と泡盛を口にしていると、五体に沖縄が染み込んでいく感じがしました。それがなんとも心地よく………、なんだろう、なんだかとても大らかで優しい自分が表に出て来ているような不思議な感覚を受けました。

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しかし、翌日の松風苑訪問はさすがに緊張しました。
『自分ごときが踏み込んでいい場所なのか?』
訪問する事が決まってからも、ずっとそんな想いが頭から離れませんでした。タクシーが松風苑の前に着いた時、その想いはピークに達しました。とてつもなく立派な門構え、ぐっと気圧されそうになります。
「さぁ行きましょう」
そんな僕の想いを察してくれたのでしょう、桜井浩子さんが声を掛けてくれました。
桜井さんがいなければ僕はここには来なかった、いや、来れなかったと思います。

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金城家の方々にお会いしました。哲夫氏の奥様、裕子さん、弟の和夫さん、息子の京一郎さん、奥様の智子さん、そして京一郎さんの子供達―――。やがて和夫さんに誘われて離れにある書斎へと向かいました。

風通しの良い書斎、真ん中に机があり、その上には金城哲夫箋と書かれた原稿用紙が乗っていました。何も書かれていない原稿用紙、知らずの内に僕はその用紙を指でなぞっていてハッとしました。壁に貼られた金城さんの大きな写真、黙って僕を見つめておりました………。

京一郎さんの運転で和夫さんと一緒に金城さんのお墓参りに行きました。住宅街の奥、車を降りて丘のようなところを登り、周りを木に囲まれた場所に金城さんは眠っていました。黙って手を合わせ、僕は静かに想いを伝えました。

海にも行きました。かつて金城家の別荘だった場所、
「兄貴はここが好きだった………」
そう和夫さんが教えてくれました。白い砂浜とコバルトブルーの美ら海です。金城さんはここで、この景色を眺めながら創作をされていたそうです。ただただ綺麗な海、理屈も理由も何も無い、ただただ綺麗な海がそこには広がっていました。

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松風苑で腹いっぱいのご飯をいただきました。なんと休暇で沖縄を訪れた藤堂くんも合流し、泡盛を飲みながら和夫さんの美声に耳を傾けました。途中から桜井さんも唄に加わり、なんとも贅沢な夜が更けて行きました――――。

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金城家の皆様、本当にありがとうございました。こんなに温かく迎え入れていただいて感謝の言葉もありません………。金城さんの意志をしっかりと継いでいきます。これからも色んな作品を作って参ります。

ありがとうございました。

追記
円谷プロのOさん、Kさん、支えていただいてありがとうございます。飯島監督、上原正三さん、沖縄はとてつもなく優しかったです。ありがとうございました。

2010/9/21 火曜日

『海猿封切のタイミングでトッキューが来た!』

小森陽一日記 14:16:57

いよいよ公開となりました。「海猿3」、もうご覧になった方もいらっしゃると思います。映画3本に連ドラ、ほんとによくぞここまで育ったものだと思います。これもファンの皆さんの支えあってこそです。しかし、泣いても笑っても仙崎大輔の勇姿はこれがラスト、しかと目に焼き付けておいてください!

我が家にはそんな最中、トッキューがやって来ました。GWのブログに綴ったクウェート・エジプト編にてご記憶の方もいらっしゃると思います。海保の伊藤英明こと稲葉くん、リアルな元トッキュー隊長です。当然めちゃもてですが、可愛いくて色が白くてとことん気風のいい奥さんがいます。そんな2人が日本へ一時帰国し、我が家へ遊びにやって来たという訳です。

東京から福岡に来る直前「海猿」を観て来たそうで、感激したという奥さんをよそに元トッキュー隊長は、英明くんの潜り方にダメ出しをしておりました。この人ほんとに厳しくてね、「海猿」、「トッキュー!!」、「海師」と何度となくネタ作りを手伝ってもらったけど、そのたんびに「違います!こんな事はしません!」なんてビシビシ叱られたっけ………。今となってはそれも良き思い出ですが――――。

一緒にゲームをしたり、大宰府に行ったり、ご飯を食べたりした2日間、その間を縫って「S」を始め他の仕事に追われる僕を羨望で見ていたのか哀れみで見ていたのかわかりませんが、兎も角わいわいガヤガヤの楽しい休日でした。

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彼等がクウェートに滞在中、そこを拠点としてまだまだ足を運びたい外国があります。この2日間で精一杯の恩は売りました。よしよし、これで強固な足掛かりは出来た筈、後は仕事のやり繰りをすれば飛び出して行ける!………でもこのやり繰りが一番難しいんだなぁ………。

2010/9/14 火曜日

『禁断の言葉』

小森陽一日記 15:19:29

特別何も感じてはいなかった。その昔、久保さんもやっていたこのゲーム、うちの娘も友達とDSで遊んでいるのは知っていたが、やりたいと思った事は一度もない。「どうぶつの森」………、架空の森の中にある村で、そこの住人となって暮らすゲームだ。虫を取ったり魚を釣ったり家を建てましたり村人と話たり………、何がそんなに面白いのか正直よく分からなかった。

そんなある日、娘と一緒にゲーム屋さんに行った。どうしてゲームを買ってやるハメになったのか理由は忘れたが、娘がズラリとゲームの並んだカウンターから持って来たのはまたしても「どうぶつの森」だった。

「これ、持ってるだろう?」
「よく見て!これはWiiなの。持ってるのはDS!」
『まぁいいか………。本人がこれがいいと言うんだし………。ハードは変わっても中身は同じようなもんだろうけど………』

家に帰って早速ゲームを始めた娘、僕はソファに寝転んでなんとなしにテレビ画面
を眺めていた。するとだ。虫取り網を操ってミヤマクワガタやらビワハゴロモとい
った虫を捕まえ出し、釣竿を垂らしてはピラルクやシュモクザメなんかを釣ってい
く。スコップを取り出して地面の×印を掘ると化石なんかが出て来る………。
『なんか………楽しそう………』
その時初めてそう思った。

今年の夏、虫取りも魚釣りもしていない。元来、動くものを捕まえるというハンター衝動のある僕としては、相当に欲求不満の夏だった。それが今、バーチャルとはいえ目の前にある。リモコンを操作すれば、虫も魚も木のみも取れるのだ………。
「ちょっとだけ貸して………」
とうとう禁断の言葉を使ってしまった………。

今では毎日「どうぶつの森」に通っている。村人からはDr.ようなんて呼ばれて結構頼りにされる存在だ。明日は虫取り大会だな………、ヤシの木が早く育たないかな………、そんな事を思いつつ一日を過ごしている。―――これが「海猿」やら「トッキュー!!」やら「S」やらを書いている男の実態です………。

ちなみに「街へいこうよ どうぶつの森」はシリーズの5作目、発売は2008年です。それを今頃………う~ん、遅れてるぅ!!
 
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『街へいこうよ  どうぶつの森』の公式ホームページはこちら

2010/9/7 火曜日

『断ビール、断おやつ』

小森陽一日記 13:26:03

一念発起してそろそろ一ヶ月が過ぎようとしている。その間で体重は2㎏落ちた。多少の上下変動はあるが、なんとか右肩下がりにはなっている。しかし、こんなに体重計に乗った月は初めてじゃないかな?洗面所にある体重計、僕にとってはこれまで無用の長物だった。今はもう体重計が我が友だ。一日2回、触れ合わないと気が済まない。

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断煙草をやってちょうど一年、それ以来蕁麻疹もピタリと治まった。だが、代りに現れたのは凶暴な食欲、特にビールとおやつは手放せなくなった。一日2本の缶ビールと一日1袋のおやつ(ベビースターやチップス類に目がない)が基本となり、日によってはこれが3本4本、2袋3袋と増えていく。飲みに行くとこの夏の猛烈な暑さも手伝って、駆け付け生ビールのジョッキを3杯、そこから焼酎だなんだと始まっていく。当然太る。腹がぽっこり出て来て、そのいらない脂肪を支える為に腰に負担が掛かり、ズンズンと痛んだ。やがて―――、

「どうしたんです、その腹?」「どうしたんです、その頬っぺ?」

そう言われまくられるようになった………。あらためて鏡を見ると確かにどこもかしこもぱんぱんだ。ここに来て我に返った。このままではヤバイ………。

ビールとおやつを断つ事はいまだに苦しい。しかし、一応周囲には意志の固い人で売っている手前、頑なに守っている。中洲で飲む時も東京で飲む時も、生ビールにわき目も振らずに焼酎の水割りからスタートし、自宅でもホテルでも決しておやつに手を出さない。一度付いた肉を剥ぎ取るというのは楽なものではない。苦しみを乗り越えなければそれは不可能なのだ。

台風が列島を過ぎ去るごとに季節は巡り、やがて秋がやって来る。読書の、スポーツの、そして食欲の秋………。ここを鋼鉄の意思で乗り越えられれば、冬にはベルトの穴の位置が一つ狭まった僕が鏡の前にいる事だろう。闘いはこれからだ。

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