『弾丸ツアー クウェート編』
家を出てからかれこれ20時間………、さすが中東、クウェートは遠かった………。
福岡から関空、関空からドバイ、ドバイからクウェート、途中のトランジットを挿むとやはり相当な時間になりました。それでも飛行機の中からどこまでも広がる砂漠を見た途端元気いっぱい!家族揃って灼熱の地へと降り立ったのでした。
入国手続きを済ませてゲートを出ると変らない顔がそこにありました。稲葉くん、彼とは知り合ってもう10年近くになります。「海猿」の潜水訓練編を書く為に呉の海保大に取材行った時が初対面、その時は潜水教官でした。取材を終えての帰り道、車で僕等を駅に送ってくれる車内で彼はこんな台詞を言い放ちました。
「海保のマンガなんか書いたって売れる訳ないでしょう!」
その言葉と端正な顔は強烈に僕の記憶に残り、十分に燃えさせました。この一言がなかったら以後の「海猿」は在り得なかったかもしれません。そういう意味では「海猿」を語る上でなくてはならない存在なのです。
もう少し稲葉くんの話をしましょう。彼はやがて特殊救難隊へと選抜されます。そしてトッキューの隊長となり、数々の海難救助のみならず国際緊急援助隊としてアルジェリア地震やスマトラの大津波の被害現場に出動、見事人命を救助して表彰されました。片方の目が一重、もう片方の目が二重のレスキューマン、そう、久保さんが真田のイメージを作る時に参考にしたのがこの稲葉くんなのです。
現在は琴絵さんと言う最高の伴侶と共にクウェート在住、海保から外務省に出向し、クウェートの日本大使館で日々奮闘中なのです。(琴絵さんのエピソードは次回)
さてここからは少しクウェートの街について触れましょう。アラビア半島の付け根にあるクウェートの総面積は17,820k㎡、とても小さい国です。そこに約350万人の人が暮らしています。首都はクウェート、言葉はアラビア語、通貨はKD(クウェート・ディナール)、主な経済はもちろん石油です。
正直、観光する場所はほとんどありません。海沿いにそびえ立つクウェートタワーに登って街を一望し、ペルシャ湾を眺め、魚市場を覗き、そこら中にある巨大なショッピングモールに行けばだいたい終了です。
一度空港から車を飛ばして製油所を見に行きました。あちこちの煙突から炎が吹き上がり、鋼鉄の建造物には無数の灯りがともっていました。まるで「ブレードランナー」のような世界………、
「これがクウェートの心臓部です」
そういう稲葉くんの言葉がズンと響きました。なぜならこの製油所から僅か1時間も走ればそこはイラクとの国境だからです。
イラクがクウェートに侵攻したのは1990年8月2日、イラク共和国防衛隊が国境を突破したあの忌まわしい事件………、これによりクウェート市内は大打撃を受けました。だが、今その爪痕はほとんど見られません。近代的なビルで埋め尽くされている街中に、敢えてその記憶を忘れまいと残された建物の残骸がひっそりと建っているだけでした。
さて、次回はクウェートを飛び出してエジプトに向かいます。どんな珍道中が出て来ますやら………。どうぞご期待下さい。
追記
ちなみに私、帰国した翌日43歳になりました。時差ぼけの中、なんともとろんとした誕生日を過ごしました………。