『死の装飾』
週末、2つの催し物に出掛けた。図らずも、どちらも「死」を扱ったものだった。誰でも生まれたら必ず死ぬ。凡人だろが偉人だろうが貧乏人だろうが王様だろうが。死………、自分にはどんな死が訪れるのだろう?死んだ後はどうなるんだろう?様々な死のイメージ、時を越え、人種を越えて表された2つの死の装飾に惹き付けられた―――。
一つは「トリノ・エジプト展」、薄暗い館内に古代エジプトの彫像がズラリと並んでいる。それは王の坐像であったり、時を刻んだステラ(石碑)であったり、色とりどりの図柄が施された棺であったり………。中でも古代エジプト特有の美しい棺には心奪われるものがある。再生と復活―――、古代エジプト人が信じていたオシリス信仰、その事を信じて墓が作られ、遺体はミイラにされた。死は眩しいほどに飾られ、次なる生を待つ。終わりではなく永遠に輪廻していくというイメージ………。途端に死が怖くなくなっていく。これは凄い事だと思う。
もう一つは「コルテオ」、楽しみに待っていた甲斐があった。これまでシルク・ドゥ・ソレイユの作品を3本観劇したが、オープニングから一気に心奪われたのはこの「コルテオ」だった。
クラウンはベッドに横たわり、自分の葬儀を思い描く。楽団の音楽が鳴り響き、頭上から天使達が舞い降り、様々な参列者がクラウンに話し掛け、時にはベッドを踏み越え通り過ぎて行く。華やかなで賑やかなパレード、死を悼むという葬儀の場がどこかお祭り騒ぎじみて、猥雑で奇妙な心くすぐられる世界になっていく………。
死を飾る―――。人であるから、生きているからこそ、人は死を飾る事にしたのかもしれない。自分が死んだ時、寂しくないように………。僕はどうしよう、すべての怪獣キットを連れて兵馬俑みたく賑やかにやろうかな。何千年も経って僕が土の中から見つかった時、怪獣キットに囲まれているのを見たら、その時の人はなんと思うだろう?シシシ………これは中々面白そうだ。