2007/10/9 火曜日

『三度、大島へ』

小森陽一日記 18:51:30

先日、山口県周防大島町にある大島商船高等専門学校の招きで講演を行った。これで、大島に渡ったのは都合三度目となる。

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一度目は大島文化センターにての講演、二度目は「トッキュー!!」の取材である。どうして大島にこんなに縁が出来たのかというと、近藤慶太郎、もとい、藤井敬司先生の存在による。

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神林兵悟の海上保安学校時代の恩師、近藤教官。藤井さんはまさに近藤のモデル(そのまんまという話もあるが………)なのだ。藤井さんとの出会いはかれこれ7、8年ほど前に遡る。その時僕は「海猿」の関門海峡二重衝突事故編に取り掛かっていた。沈没した「エイジアントリップ号」に接触し、船体に亀裂が発生、浸水を始めた「くろーばー号」というあの話だ。当時藤井さんは九越フェリーというフェリー会社に在職されていた。福岡海保の紹介で藤井さんと出会い、フェリーの取材をそれこそ何度もやらせてもらった。そして大ネタ小ネタを数々いただき、「くろーばー号」からの生還という話を作る事が出来た。この話はやがて「リミット・オブ・ラブ」にも繋がり、藤井さんにはフェリーの監修をしていただいた。要するにめちゃくちゃお世話になっている人なのだ。こんな人から「頼むで」と言われれば、普段はやらない講演もこなす。いや、こなさなければならない―――。
  
講演の内容は「もの作り」というテーマで行った。どういう想いで作品を作っているのかを軸に、書く事になったきっかけや、こだわりなどを話した。途中、マガジン編集部やスピリッツ編集部、久保ミツロウや武村勇治の仕事場の写真を織り交ぜ、あろう事か締め切りであたふたしているマンガ家二人にビデオに向って話をさせ、僕に割り振られた時間を少しでも潰した。講演の出来はどうだったか、それはわからない。過去は振り返らない主義だから。兎に角無事に務めは終えた。藤井さんへ、少しでも恩返しが出来たのなら嬉しい。

余談だが、三度渡った大島で一番印象に残っているのは風景でも学校でもない。和氣校長先生のお顔だ。どこかで見た事があると思ったら、歴史の教科書に出ていた、明治の偉人達にそっくりだ!?

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