2007/10/23 火曜日

『スピリッツの(ある?)男』

小森陽一日記 17:33:58

来福した「海師」の担当Kくんと打ち合わせ(もちろん呑みも兼ねる)をした。僕の仕事場で1時間半ほど。もちろん次週からの展開が一番のお題目なんだが、それは10分くらいで済んだ。後は互いの近況報告や気になる映画や本などの話だ。
「エーッ!?打ち合わせってそんなもんなの!!」
と思われる方がいるかもしれない。そう、打ち合わせとはそんなものだ。ただ、そんなものになる為にはそれなりの時間が掛かる―――。

一番最初に書いたプロットのタイトルは「(有)唐島サルベージ」。

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数年前、沈船から莫大な財宝を発見したサルベージ屋の唐島武と沢村広。一躍時の人となるも金はすべて使い果たし、今や借金抱えて食うにも困っている。しかし夢よもう一度、コツコツ働くよりデッカク一旗上げてやると相変わらず人生バクチの日々。そんな若者2人と行動を共にするのがお爺の船越と飯炊きババァのお米。当初は曲者連中が巻き起こす海難騒動を描いた物語だった。前任者の担当M山くんと2人、角つき合わせて物語を煮詰めていった結果、やがてもっと硬派な方へと変遷を辿って行く。

M山くんの異動を受けて、後任となったのがKくんだった。鋭い目つき、大阪弁、服や時計、小物に至るまで竜が付いており、頭はメッシュ。
「この男はホントに編集者なのか???」
と最初は大いに疑った。だがそんなKくん、見かけによらず思いやりのある男だった。
「いい奴だな………」
そう思った途端、作家とは頑張る生き物だ。彼の目指すビジョンを聞き、「海師」を何度も手直ししていった。やがて描き手に武村くんが決まり、皆さんご存知の「海師」が誕生する。

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電話で話をし、会って話しをし、一緒にいろんなところへ取材に行った。暑い日も寒い日も、大嵐の日もあった。そんな様々な積み重ねを経た結果が10分の打ち合わせなのだ。そしてたった10分の為に、Kくんはわざわざ福岡にやって来る。
だが………、
「ちゃいますよ!小森さんがいなくても福岡来ますよ。うまいしおもろいし」
「………」
打ち合わせを10分で「終える」のではなく、実は「終わらせている」のかもしれない………。

『気をつけよう。甘い言葉の編集者』 

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連載100回を迎えた時、武村くんから色紙が贈られてきた。これは大切な宝物だ。

2007/10/16 火曜日

『秋に想う』

小森陽一日記 18:53:00

すこぶるいい天気、風も心地いい。
午前中で「トッキュー!!」も書き終えた事だし、ブログのネタでも見つけにと散歩へと繰り出した。

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本屋に立ち寄って田中芳樹さんの「月蝕島の魔物」と奥田英朗さんの「サウスバウンド」を購入、そのままスルスルと行きつけのお鮨屋さんへ。
「昼間からとは珍しいですねぇ」
と若大将に声を掛けられ、
「散歩です。ブログのネタ探し」
なんて返事を返した。
すると―――、
「ネタならここにいっぱいありますよ」
見ると、ショーケースの中には新鮮な鮨ネタがぎっしり。
「ネタはネタでもこれはねぇ………」
なんて苦笑いしたが、しっかりとネタにさせてもらった。ありがとう、若大将。

昼間はまだ日差しが強い。しかし、木々の先を見るとうっすらとだが朱に染まった葉っぱがある。猛烈に暑かった今年の夏、しかし確実に季節は次へと巡っているのだ。

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秋と言えばシーズンオフ。ホークスもクライマックスシリーズを敗退し、今年のシーズンを終えた。終了間際、不振に喘いでいた背番号3に元気を出してもらおうと、我がチーム10割は一つのプレゼントを計画した。名付けて「男、打ち。」Tシャツ。

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「男、打ち。」とはチームメンバーであるCMプロデューサーS氏が放った「ベースボール・スパーリング」篇の中のロゴ。このCMは最高のインパクトで今年のACC金賞を獲得した。細かいデザインの打ち合わせは眼科医のT先生が、資金集めからシャツ製作の発注など細々した事を県警のSさんYさんが、そして何より、背番号3の、チーム10割の、そして多くの人々の桃源郷であるお店のFマスが、店のロゴ出しを認めてくれた。みんなの気持ちがぎっしり詰まったプレゼント、もちろん松中さん本人が大喜びしてくれたのは言うまでもない。

今シーズン、チーム10割の5人がこのシャツを着て球場に揃う事は一度もなかった。だが、球場に行く時には必ず着て出掛け、行った時には必ず勝った。「チーム10割、復活だ!」。シーズン途中の意気消沈ぶりはどこへやら、ゴウゴウと怪気炎が上がる。だが、その夢をぶち壊したのは僕からだった。必死に応援したにも関わらず完封負け。試合途中、メンバーからは苦情のメールや同情のメールが幾つも届いたのだった………。

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夜、球場からタクシー乗り場までとぼとぼと歩く。思えばその夜から急に風が冷たくなった。どうやら一番最初に秋が訪れたのは僕だったようだ。

2007/10/9 火曜日

『三度、大島へ』

小森陽一日記 18:51:30

先日、山口県周防大島町にある大島商船高等専門学校の招きで講演を行った。これで、大島に渡ったのは都合三度目となる。

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一度目は大島文化センターにての講演、二度目は「トッキュー!!」の取材である。どうして大島にこんなに縁が出来たのかというと、近藤慶太郎、もとい、藤井敬司先生の存在による。

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神林兵悟の海上保安学校時代の恩師、近藤教官。藤井さんはまさに近藤のモデル(そのまんまという話もあるが………)なのだ。藤井さんとの出会いはかれこれ7、8年ほど前に遡る。その時僕は「海猿」の関門海峡二重衝突事故編に取り掛かっていた。沈没した「エイジアントリップ号」に接触し、船体に亀裂が発生、浸水を始めた「くろーばー号」というあの話だ。当時藤井さんは九越フェリーというフェリー会社に在職されていた。福岡海保の紹介で藤井さんと出会い、フェリーの取材をそれこそ何度もやらせてもらった。そして大ネタ小ネタを数々いただき、「くろーばー号」からの生還という話を作る事が出来た。この話はやがて「リミット・オブ・ラブ」にも繋がり、藤井さんにはフェリーの監修をしていただいた。要するにめちゃくちゃお世話になっている人なのだ。こんな人から「頼むで」と言われれば、普段はやらない講演もこなす。いや、こなさなければならない―――。
  
講演の内容は「もの作り」というテーマで行った。どういう想いで作品を作っているのかを軸に、書く事になったきっかけや、こだわりなどを話した。途中、マガジン編集部やスピリッツ編集部、久保ミツロウや武村勇治の仕事場の写真を織り交ぜ、あろう事か締め切りであたふたしているマンガ家二人にビデオに向って話をさせ、僕に割り振られた時間を少しでも潰した。講演の出来はどうだったか、それはわからない。過去は振り返らない主義だから。兎に角無事に務めは終えた。藤井さんへ、少しでも恩返しが出来たのなら嬉しい。

余談だが、三度渡った大島で一番印象に残っているのは風景でも学校でもない。和氣校長先生のお顔だ。どこかで見た事があると思ったら、歴史の教科書に出ていた、明治の偉人達にそっくりだ!?

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2007/10/2 火曜日

『素人匠』

小森陽一日記 18:18:36

ウルトラ怪獣のガレージキット、作りも作ったり180体。その中でもボークスのJr.シリーズは、何時の間にか170体を越える数となった。ここまで来れば目指すはコンプリート、大バカの極みとも言うべき「素人匠」の称号を勝ち取るのみ!!

月末、講談社の編集N氏とカメラマンのM氏が来福、仕事場のガラスケースに並ぶキットの群をカメラに収められた。だが、撮っても撮っても終わらない………。170体の撮影はそれこそフルマラソン、怒涛のようなものであった。お二人とも、とにかくご苦労様でした。ゆっくりと疲れを取って下さい。

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そうそう、この模様がなんなのかは近日報告させて頂きます。どうか皆さん、お楽しみに。

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2007/9/25 火曜日

『ガンマンへ』

小森陽一日記 17:34:22

舞台挨拶を見ていて「疲れ気味だな」と感じた。だが、控え室に顔を出すと変らない笑顔がそこにあった。今回の役柄は孤独なガンマン、お似合いの役だった。時折覗かせる優しい目の光が実に彼らしいと思った――――。

伊藤英明―――、一言で言い表すと「いい奴」だ。熱くて、愉快で、子供みたいで、とても「いい奴」だ。初めて会った時からこの印象は変らない。今回は「スキヤキウエスタン ジャンゴ」の舞台挨拶で福岡にやって来た。丁度上京する前日だったので僕の予定も開いていたし、何より久し振りにゆっくりと話もしたかった。今年は「ジャンゴ」に始まって「輪違い屋糸里」、「孤独の賭け」、「ファーストキス」と休みなく仕事を続けてきた英明くん。さすがに勤続疲労は否めないし、この日もほとんど寝ていなかった。だが、話し出すとそんな疲れはどこへやら、次々に色んな事を話し、考え、そしてまた話し出す。まったく大したエネルギーだと思う。僕はいつもこのエネルギーを分けてもらっている気がする。

ただ、どうか身体にだけは気をつけて。君の替わりは誰にも出来ないんだから。それじゃまた近いうちに―――。

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