2008/3/18 火曜日

『江戸川由利子orフジアキコ、or………?』

小森陽一日記 17:01:34

昭和42年5月4日、子供の日に数時間足りないという微妙な誕生日である。さて、「ウルトラQ」の本放送は昭和41年1月2日、「ウルトラマン」が同年7月17日、どちらも生まれていない。影も形もまったくない。ウルトラファンを自認する僕にとって、この事実はずっとコンプレックスだった………。
「お前、色々知ったかぶりしてるけど、本放送でウルトラ観てないだろ。本放送と再放送じゃニュアンスが全然違うんだよ」
「………」
何度このフレーズを言われて黙り込んだ事か………。

昨日、円谷プロのM社長とKさん、そして桜井浩子さんが我が家に遊びに来られた。昨年秋から話をしていた福岡行きがようやく実現した形である。暮れに講談社から出したキット本、あの本は桜井さんの尽力がなければ世に出る事はなかった。念願適ってようやく直に我がコレクションを見てもらう事が出来た。あの由利ちゃん………、いや、フジ隊員に………、うーん………。そしてまたあのフレーズが頭を掠める。
「お前、色々知ったかぶりしてるけど、本放送でウルトラ観てないだろ。本放送と再放送じゃニュアンスが全然違うんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ………」
………そう、僕はどちらもリアルでは知らないのだ――――。

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Sプロデューサーや今度一緒に作品を作るTさん、Nくんと合流してワイワイ食事。だが、日頃口うるさいSプロデューサーが今日は視線を下げて物静かである。こうなる事ははっきり言って予想していた。彼はまさにリアル世代、「ウルトラQ」の本放送を見ていた世代なのである。そして今、目の前にホンモノの由利ちゃんがいる………。見ていて気の毒なほど固まっていた。でも、この感覚は僕にはない………。
『やっぱり再放送世代だからなのか………』
ある意味、Sプロデューサーの反応は羨ましくもあった………。

その後皆でファン○ァンに移動、店で待ち構えていたT先生や県警のTさん達に桜井さんはサインを送った。自慢気に見せびらかしに来るT先生、その時僕は愕然とした。色紙には江戸川由利子と書かれていたから………。そう、この場でサインを貰った人達は皆、本放送世代なのだ。
「桜井さんと言えば由利ちゃんだよ!」「そうだそうだ!」「君はわからんだろう!」
大声ではしゃぐオジサン達。T先生の金切り声が今夜は一段と耳に木霊する………。

しかし―――、
桜井さんが僕にくれた色紙にはハートマークが描かれていた。ハートマークである。今日を限りにひがむのはやめようと思う。

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2008/3/11 火曜日

『お礼行脚』

小森陽一日記 17:22:55

久し振りに3人揃って門司港駅へ降り立った。霙交じりの風の強い午後だった。

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(左手、メッシュの入った強面の担当Kくんと、右手、ちょっとメタボ気味のおとぼけキャラ武村くん)

「海師」の連載終了後、担当のKくん、マンガ家の武村くんと共にお世話になった方々へお礼行脚をしようと話していた。それがようやく実現する運びとなった。向ったのは門司、僕等3人揃っての最初の取材も門司、そして、ボロボロの難波サルベージに集う愛すべき連中が暮らしているのもこの門司である――――。

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最初、第七管区海上保安本部を訪れた。ここには「海猿」時代から続く縁の深~い場所、決して足を向けて眠れないお歴々がいらっしゃる所だ。もちろん「海師」もこの方達なしでは決して描けなかったエピソードが山ほどある。深く感謝の意を表した後で僕はこう切り出した。
「このメンバーでご挨拶出来るのもそうそうないでしょう。だからこの際、サインが欲しいという方はどんどん申し出て下さい!」
まるでサインの押し売りである。であるが、慎み深い海の男達にはこうまで言わないと重い腰を上げないのだ(若干数名、これに当てはまらない人もいるが………)。単行本や色紙やポスターが机の上に積まれる。武ちゃんはガンガン麟太郎の似顔絵を描いていく。久保ミツロウに張り合うかのように持参したカラーペンで色まで付けて描いて行く。出来上がったところで僕がちょこちょこっと名前を書き込み、恭しくお渡しをするのが慣わしだ。
その後、同じく門司にある深田サルベージの九州支店へ。ここには「海師」の立ち上げ当初からバックアップをしてくれたHさんというサルベージマスターがいらっしゃる。しばし想い出話や最近の面白い話をした後、僕は再びサインの押し売りをした。ここでも武ちゃんは大車輪、色紙のみならずTシャツの背中にまで筆をふるったのだった。

だが、サインの嵐はまだ終わらない。福岡市内に戻った後も、合流したFM福岡のアナウンサーNさんのたっての希望で、麟太郎と沢村を小脇に抱えた五十嵐船長のイラストを描き(あの辛口担当Kくんが褒めた傑作!?)、お店にも色紙を描き、更には移動した中洲のバー「ター○○ト」でも、燦然と壁に輝く兵悟のイラストに負けじと目一杯気合を入れて麟太郎を描き、ついには「海師」大ファンのバーテンダーSくんに、真彩と寄り添った似顔絵を描いたのだった。
「おーっ、この麟太郎いいね。連載終わっていい感じで肩の力の抜けたね」
「ほんまにもう!なぜ連載中にこんな感じの画が描けへんのや!!」
僕とKくんにこんな事を言われながら描き切った武ちゃん、あなたはほんとに立派です!!

2008/3/4 火曜日

『雛祭り』

小森陽一日記 18:01:16

「あかりをつけましょぼんぼりにぃ、おはなをあげましょもものはなぁ~」
そう、これを書いているのは3月3日、今日は桃の節句である。という事で、突然、我が家の音楽室に雛飾りがドーンと飾られた。

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その日、妻の両親が娘の為にと押入れに仕舞ってあった一式を持って現れた。見るからに古そうな大きな木箱から現れたのは、棚板やつっかえ棒、そして沢山の小箱………。反り返った板を段々に組んで、その上に赤い布を敷き、そして小箱に納められたお内裏様にお雛様、三人官女やら五人囃子を取り出して並べていく。だが、人形も小道具も相当にくたびれており、並べながらボンドであちこち修理しなければならなかった。聞けばこの雛飾り、70年以上も前のものだそう………。通りで手作りの座布団の柄がベティちゃんやのらくろな訳である。

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兎にも角にも今年の節句は実に豪華なものとなった。ただ、一つだけ難点が………。一緒に箱から出て来た2体の市松人形、これをひな壇の隣に並べたら、娘が「音楽室に入るのが怖い」と言い出した。何を隠そう僕も市松人形はちと苦手………、なんかこう「じーっ………」と見られている感じがして背筋がゾクゾクしてしまう。しかもこの人形も雛飾りと同様相当年季が入っていて、着物はよれよれ、首もとれかけ、足先なんかは欠けている………。その夜から娘はエレクトーンの練習をしていない。僕も強く言えない。なんとも困った桃の節句となっている………。

2008/2/26 火曜日

『L』

小森陽一日記 17:53:55

先日、松山ケンイチくんに会った。スタッフとは少し離れた場所で静かに椅子に座っていた。決して気難しいんじゃない。気さくに話も出来るしニコニコとよく笑う。だが、彼の周りだけ磁場が違っているかのような感じがした。例えて言うなら「憂い」………。まだ22歳、だが、とてつもない雰囲気のある役者さんだ。

「デスノート」はもちろん読んだ。映画も前・後編合わせて3度は観ている。月とLの攻防がたまらない。藤原くんと松山くんの火花を散らすような攻防が本当にたまらない。そしてL、再起動―――。仕上がるのを楽しみに待っていた。

「L Change The World」、原作には描かれていない23日間の物語。脚本作りに四苦八苦しているのは時折聞いていた。撮影に間に合うのか心配もしていた。撮影に入ってからも色んなトラブルがあったのも知っている。しかし仕上がった。それも素晴らしい作品となって。プロデューサーが佐藤さんだったから、監督が中田さんだったから、そしてLが松山くんだったからだと思う。間違いなくそう思う。 

まだ未見の皆さん、是非ご覧になって下さい。どの虜になるかはその人次第。しかし、何かの虜になる事だけは保証します。

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2008/2/19 火曜日

『タイミング』

小森陽一日記 18:02:36

高知より戻ってホッとする暇もなく、2泊3日で上京した。また美味しいもの食べて気持ちよーく飲んでと思われる方もいるかもしれない。もちろんそれは否定しない。―――が、東京での僕は本当によく働く。今回も打合せ三昧の時間を過ごした。

講談社のマガジン編集部で打合せをする前、社屋と写真棟を繋ぐ渡り廊下へと向った。まったく知らなかったのだが、そこは講談社に所属するカメラマンさんの個展会場になっている場所なのだそうだ。廊下は直線で20mほど、片側はガラスなので写真はもう片方の壁際に並べて展示される。当然、限られたスペースという制約がある訳だから、誰もかれもが個展を開けるものではない。作品のクオリティーはもちろん、写真部の長の厳しい選択眼に適わなければここに写真を飾る事は出来ないのだ。そんな厳しい競争を勝ち抜いて目下展示されているのは怪獣達、それもどこかで見慣れたものばかり………。「ULTRA WORLD COLLECTION」の撮影を行った米沢カメラマンが、今回その栄誉を勝ち取り、個展を開く事と相成った訳である。おめでとう、米沢さん!!

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編集部でMさん、Tくんともろもろの打合せを行った後池袋へ移動、「トッキュー!!」の打合せはアンコウ鍋を囲んで行われた。今回、アンコウ鍋をリクエストしたのは久保ミツロウ、おかげで僕も不思議な味を堪能する事が出来た。その後、他のメンバーと別れて僕はツインズのS氏、小学館のKくんと合流、もろもろの打合せを夜更けまで行った。
次の日もツインズのS氏と打合せの続き、夕方より講談社で打合せ、夜は日テレS氏と銀座でお刺身をつまみながらの打合せ、やがて日本アカデミーに出席していたM監督とAPのSさんが加わり、日付が変る頃にはツインズのS氏もやって来て話をしたのだった………。どうです、ちゃんと仕事もしてるでしょう。

さて、今回どうして副題を「タイミング」としたのか?これからそれについて語りたいと思う。以前よりそうなのだが、僕が打合せで上京したり取材旅行に出掛けるタイミングでなぜだか娘が熱を出す。旅先から自宅に電話すると「実はね………」と妻が言う。僕も当然そうなのだが、仕事仲間も「また………?」と言う。それくらいこのタイミングは普遍化しているといってもいい。そして今回もまた………である。自宅に戻ったら娘の様子がおかしかった。あきらかにいつものキレがない。
おでこを触ると案の定熱っぽかった。次の日には40度近くまで熱が跳ね上がり、腹痛、頭通、ついには嘔吐までやってきた。これはいかんとすぐに病院に運ぶ。すると………インフルエンザA型。軽い脱水を起こしていたので点滴まで受けたのだった………。

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仕事で寝不足、帰ってからも看病で寝不足………、これは久々の大型バッドタイミングの到来である。死にそうな顔で苦しむ娘の顔を見るとそうそう眠る訳にもいかず、とにかく落ち着くまではと頑張った。そして今、病は癒えて………相変わらず憎たらしい悪態を付く娘へと元通りになっている。それはまぁ百歩譲っていい。ただ次からはこのタイミングを外してくれ。きつい………。頼むから………。

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