2009/1/27 火曜日

『雪の週末』

小森陽一日記 13:39:59

前日から降り出した雪は翌日更に勢いを増し、あれよあれよと言う間に降り積もっていった。

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その夜、ウッドデッキに指を刺して見たら、多分10cmくらいはあったと思う。福岡は比較的雪の降る場所だが、ここまで積もるのは久し振りだ。犬が喜んで駆け回る以上に、うちの娘の喜びが炸裂した。夜10時近いというのに庭に出てギャーギャー、デッキブラシで枝に積もった雪を振り落とし、雪玉を作っては窓に投げ付け、お決まりの雪だるまを丸めるまで決して部屋の中に入ろうとはしなかった。何回「いい加減に戻りなさい!」と言ってもだ………。

車で街を走っていると沢山の雪だるまが目に付いた。綺麗な白もあるにはあったが、大半は雪だるまならぬ泥だるまだ。きっとそこら中の雪を掻き集めて作ったんだろう。うちの娘のように叱られながら………。たまのドカ雪は子供の心を狂わせる。思い返せば自分だってそうだった――――。

最悪の悪ガキだった僕は真っ白な雪が積もった日もやっぱり腹黒い悪だった。まず、小さな小川を挟んで仲間を2組に分けた。片方の背にはグラウンド、もう片方の背には真後ろに製材所の壁。雪を集める場所も限られ、逃げ場もとことん限られた川向こうのグループに、もちろんこの僕が入ろう筈もない。最初は普通に雪合戦をしていたが、次第に悪が頭をもたげてきた。僕はグラウンドグループに雪玉の中に石を入れる事を指示、それを思いっ切りドン詰まりグループに向かって投げ付けた。雪玉が製材所の壁に当るたび、「ベチャッ」ではなく「ガチーン」、「ゴツーン」と甲高い音が響き渡った。石に気付いた少年達が必死の形相で逃げ回る。その姿が可笑しくて、大笑いしながら石入りの雪玉を投げ続けた。最後は音に気付いた製材所のおじさんが出て来て、怒鳴られて終わり。もちろん掴まるようなヘマはしない。蜘蛛の子を散らすように逃げ、今度は仲間の家の駐車場に集まってみんなで大きな雪だるまを作り、道路の真ん中に置いた。キヒヒ………。
 ………ってこんな話、うちの娘には出来んな。そうでなくても最近は「パパ、最低」
と言われ、株を落とし続けているからなぁ………。

2009/1/20 火曜日

『飼い主の心構え』

小森陽一日記 13:34:59

先週、川越市にあるいちのせ警察犬訓練所にお邪魔させていただいた。新人女性ハンドラーのシェパードを訓練する様子を眺めながら、事務所で一瀬所長と話をさせていただいた。優秀な性能は血によって伝わるという遺伝学から、まずは五年間修行というハンドラーの生活、果ては大型犬、中型犬、小型犬の性格分けなど様々な事を教えて頂いた。すべての話の根底にあったのは、犬を持つという事の心得、人間の心構えだった――――。

先日、朝の散歩をしていると、ある立派な家の門の前に茶色い塊が落ちていた。大きなウンチである………。このサイズはネコでは考えられない。多分、中型犬以上の犬だと思われる(人間という事も考えられるが………)。生きている証としてウンチ、オシッコは必ずするものだ。これは自然の摂理なので仕方ない。問題はなぜそれを片付けないのか、だ。

皆さんも道端にウンチが落ちているのを目にされた事は多いと思う。いや、道端だけじゃない、公園でもそうだ。遊んでいたらうっかり踏んずけた………、なんていう経験をお持ちの方もいるだろう。踏んだらほんとにげんなりする………。お気に入りの靴を二度と履きたくなくなるくらいだ………。でもこれはウンチが悪いのでも、それをした犬が悪いのでもない。悪いのは飼い主だ。
犬を飼っている方の大半は、散歩中にお掃除グッズを持ち歩いている。持っていない人に出会う事の方が圧倒的に少ないくらいだ。なのに、中に知らん顔して平気な人がいる。道端のウンチを見たり、靴で踏んずけたり、家の門の前に残されたりしてもなんとも思わないのだろうか?そんな事ない筈だ。きっとそういう人は家の前でされると烈火の如く怒り出すに決まっている。そういう身勝手な人なんだと思う。

犬を飼うという事はこちらの心構えを試されるという事でもある。毎日の運動、御飯の世話、ウンチオシッコの始末………。ただ可愛いだけじゃない、責任というものがそこにはある。

はぁ………、なんだか今回は硬くなった。いろいろ溜まってたんだなぁ………。

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2009/1/13 火曜日

『たかが葉書き、されど葉書き』

小森陽一日記 17:03:59

ここ数日、底冷えのする寒さが続いている。朝夕のマイの散歩も、着膨れして実に不恰好なまま出歩いている。みっともないのはわかっているが仕方がない。それくらい寒いのだ。この寒さ、まだしばらく続きそうとの予報、堪らない………。

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今年も沢山の年賀状が届いた。家族の写真、犬の写真、近況を伝える内容にほころんだり懐かしくなったり。だが、毎年、暮れになって慌てて年賀状を作り出す者にとって、これほど面倒なものもない。ただでさえ忙しいのに、その上さらに輪をかけて手間ひまが掛かるのだから。「一体誰がこんな事を始めたんだ………」と文句の一つも言いたくなる。
調べてみると、年賀状の起源は平安時代、貴族の間で新春に歌を詠んでやり取りしたのがその始まりとある。年始の挨拶は奈良時代、現在のような年賀状が普及したのは明治時代という事だそうだ。となると、かの織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、坂本竜馬も西郷どんも、あの篤姫も年賀状を書いたのかもしれない。そう考えるとなんだか凄い。どんな年賀状を書いたのか是非とも見てみたい。

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なんだかんだ言っても年賀状でしかやり取りしていない人も多い。一年に一度、互いの近況を知らせる一枚の葉書き、これが無くなったら完璧に音信不通になってしまう可能性もある。平安の昔から続いてきた理由は、案外そんなところにあるのかもしれない。年の瀬に相も変らず年賀状作りに追われてブーブー言っている自分もまた、変らずに続いていくんだろうなぁ………。

2009/1/6 火曜日

『雪の新年』

小森陽一日記 16:57:17

大掃除と年賀状作りと仕事に終われて暮れていった2008年、一夜明けて窓を開けると雪景色となっていた―――。

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2009年の幕開け、巷では『100年に一度の経済危機』なんて寒いフレーズが囁かれているが、この雪がそんなものをリセットするように真っ白に染め上げてくれた。
「ここから始めるがよい―――」
そういう事なんだと思う。 

今年も初詣に行っておみくじを買った。去年は「吉」、頑張れば得られると書いてあったので、ひたすら頑張った一年だった。
さて、今年は………?
見事「大吉」が出た。思えばすべて適う――とある。よーし、思おう!徹底的に思いまくって適えよう!!そう心に誓っておみくじを結んだ。
………今年は去年を上回る忙しい年となりそうだ。

 明けましておめでとうございます。
 どうぞ今年も宜しくお願いいたします。

2008/12/29 月曜日

『遠くに望むもの』

小森陽一日記 13:06:02

今年も残すところ3日を切った。
油山に登り、杉の木の間から見える街並み、そして海を眺める。
こういうシチュエーションの時は、なんとなく来年への誓いを立ててみたくなるものだ。
『今年もいろいろやりました。来年はもっといろいろやろうと思います!』

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そう、まだまだいろんな事がやってみたい。

ただやるだけじゃなくて、もっと広く、深く、精一杯やってみたい。
ずっと夢だと思っていたものが、微かに現実実を帯びて来た。
まだまだ遠いが、望みを抱きながら進んで行きたい。

ブログを読んでいただいた皆さん、今年もお世話になりました。
皆さんの健康と発展を祈りつつ、
また来年、元気にお会いしましょう!

   H20.12.29 

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