2010/10/12 火曜日

『富士山はかくれんぼ中』

小森陽一日記 14:14:55

山梨県は富士吉田市を取材で訪れた。富士吉田、読んで字の如し、ここは富士山の裾野に南北に広がっている街である。標高は1000m、既にそこいら辺の山よりも高い場所にある。どおりでお酒の回りが早かった。ホテルでパソコンを開いて仕事しようにも猛烈な睡魔に襲われてコテン………(お仕事関係の皆様、別に言い訳をしようとしているのではありませんよ。軽い高山病だったのかな、ハハハ………)。滞在中、朝までぐっすりと眠ったのだった。 

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さて、富士吉田市には○○どころが沢山ある。まずは食べどころ、「吉田のうどん」だ。うどんと言えば讃岐が有名だが、どっこい「吉田のうどん」も負けてはいない。市内には店舗が60以上もあるそうで、大の男が店の名前を並べて「今日はどこに行こうか?」なんて会話を始める。まるでランチするお店をガヤガヤと選ぶ主婦のようではないか!?それほどまでに愛されている「吉田のうどん」とは果たしてどんなものなのか?麺は太くて腰があってボリューム満点、さすが「ほうとう」の地元である。お醤油、お味噌の出汁に肉と刻んだ人参と刻んだキャベツがドカンと乗って来る。僕は肉うどんの普通盛りを食べたのだが、これでも相当お腹が一杯になった。そしてもうひとつ、忘れちゃいけないのがこれ、先日のB-1グランプリで見事グランプリに輝いた「鳥もつ煮」。実はもつ、食べれはするが好きな部類ではない。お店に行ってお金を出してわざわざ注文するほどでは決してない。だがこの「鳥もつ煮」、何度も煮て飴のようになったもつは甘辛くて柔らかく、卵の黄身と気持ちいいくらいに味が合う。こりこりほくほく、食感も実に楽しい一品だった。え?取材と言いつつ何しに行ったのかって?いやいや、別に食べ歩きに行った訳じゃありませんよ。

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次に見どころを言うと、これがもうキリがない。富士五湖、青木ヶ原樹海、冨士浅間神社に忍野八海、どこもかしこも美しく、記憶に残る光景である。ただ、なんといってもこれらの場所は主役がいてこそのもの、言わずと知れた富士山があってこそ輝きを増す。そんな主賓が、メインが、リーダーが、中々顔を見せてくれなかった………。辺りは晴れているのに主役だけはずっと雲の中に隠れてかくれんぼ、街を離れるまでとうとう「バァ~」とは出て来てくれなかったのである。え?やっぱりただの観光だって?いやいや、決してそうじゃない。まだ詳しい事は言えないからこんな観光案内みたいな記事になってしまっているだけである。

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最後に取材でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。またあらためて皆さんのお顔を見に(富士山も見に………)参ります。その時はどうぞ宜しくお願いします!

2010/10/5 火曜日

『浅いのと深いのと』

小森陽一日記 11:20:14

………とまぁそんな訳でSONYのVAIOを買ったのですが、薄くて軽くて処理スピードが猛烈に速いこんなパソコンを持ち歩いていると、なんだか自分が出来る男になったような気がしてくるものです。人間は外見じゃない、中身だ!と思っちゃいますが、ついつい人の大勢いる所に出て行って大した用もないのにカチャカチャやってる………。浅い、浅いなぁ、俺は………。

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浅いと言えば、尖閣諸島で起こった衝突事件に対する日本政府の対応、そして、大阪地検特捜部の押収資料の証拠改ざん事件。共通しているのはどちらも「浅い」という事。

先日沖縄に行った際、海保の那覇航空基地にお邪魔させて頂きました。久しぶりに嗅ぐ海保の匂い、なんだか古巣に戻ったような気がしたものです。だが、こっちのお上り気分とは裏腹にそこは最前線でした………。
「あのヘリはこれから尖閣に向かいます」
僕らが目にする事のない海域で、今この瞬間も彼等は中国と向かい合っています。
「こんなバカげた事はいい加減に止めて頂きたい」
なぜ総理ははっきりと中国に言わないのでしょう?言わないどころか、海保が逮捕した中国人船長の釈放を沖縄地検が勝手にやった事と言い張る始末………。なんとも情けなく底の浅い対応………、これには心底がっかりしました。こんな事をしている限り日本は外国から揺さぶられまくでしょう。

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そしてもうひとつ、地検のエースと言われる男が起こした証拠改ざん事件。こんなにも傲慢で短絡的思考の人間が検事をやっている、その事実に戦慄すら覚えてしまいます。すぐにばれるような事を平気でやってしまう底の浅さ、それを庇う隠ぺい体質、検事という沈思のイメージから掛け離れたこの行動を一体どう受け止めればいいんでしょうか………。

この二つの「浅さ」は僕らの生活に密接に関わって来ます。なんとか歯止めを掛けないと、日本はメルトダウンしてしまうかもしれません………。

そういう僕自身、最新のノートパソコンを買ったから文章が上手くなるなんて、そんな調子のいい事は思いません。あの人ちょっとカッコよくないなんて、女の子にモテるなんて思いません。文章は毎日コツコツと書く事でしか上達せず、ノートパソコンをカチャカチャやってたって中身がチープだとサヨナラです。浅くて喜ばれるものはあんまりない、浅見、浅学、浅才………、考えたり行動したりする事に至っては、浅いとロクな事がないようです。皆さん、深くなりましょう!

2010/9/28 火曜日

『松風苑へ』

小森陽一日記 11:18:51

沖縄の松風苑、言わずと知れた金城哲夫氏の生家です。ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンの産みの親、僕はこの金城哲夫という偉大なクリエーターに一体どれだけの影響を受けているのか、自分でもよく分からないのです。ただ、はっきりと言えるのはウルトラに触れていなければ今の僕はいなかったという事、テレビの前にカセットデッキを置き(当時はビデオなんてものすらなかった)、30分間はおしゃべりするなと家族にきつく言い渡し、テープに取ったセリフを1話1話ノートに書き起こしてストーリー集を作った少年日………。ウルトラが僕の基礎を作りました。そしてその基礎は金城哲夫氏が作り上げたのです。

「沖縄に行ったら「うりずん」から始めるといいよ」
金城氏の盟友、そして僕の尊敬する脚本家、上原正三氏の勧めで「うりずん」へ行きました。薄暗い座敷の中で沖縄料理と泡盛を口にしていると、五体に沖縄が染み込んでいく感じがしました。それがなんとも心地よく………、なんだろう、なんだかとても大らかで優しい自分が表に出て来ているような不思議な感覚を受けました。

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しかし、翌日の松風苑訪問はさすがに緊張しました。
『自分ごときが踏み込んでいい場所なのか?』
訪問する事が決まってからも、ずっとそんな想いが頭から離れませんでした。タクシーが松風苑の前に着いた時、その想いはピークに達しました。とてつもなく立派な門構え、ぐっと気圧されそうになります。
「さぁ行きましょう」
そんな僕の想いを察してくれたのでしょう、桜井浩子さんが声を掛けてくれました。
桜井さんがいなければ僕はここには来なかった、いや、来れなかったと思います。

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金城家の方々にお会いしました。哲夫氏の奥様、裕子さん、弟の和夫さん、息子の京一郎さん、奥様の智子さん、そして京一郎さんの子供達―――。やがて和夫さんに誘われて離れにある書斎へと向かいました。

風通しの良い書斎、真ん中に机があり、その上には金城哲夫箋と書かれた原稿用紙が乗っていました。何も書かれていない原稿用紙、知らずの内に僕はその用紙を指でなぞっていてハッとしました。壁に貼られた金城さんの大きな写真、黙って僕を見つめておりました………。

京一郎さんの運転で和夫さんと一緒に金城さんのお墓参りに行きました。住宅街の奥、車を降りて丘のようなところを登り、周りを木に囲まれた場所に金城さんは眠っていました。黙って手を合わせ、僕は静かに想いを伝えました。

海にも行きました。かつて金城家の別荘だった場所、
「兄貴はここが好きだった………」
そう和夫さんが教えてくれました。白い砂浜とコバルトブルーの美ら海です。金城さんはここで、この景色を眺めながら創作をされていたそうです。ただただ綺麗な海、理屈も理由も何も無い、ただただ綺麗な海がそこには広がっていました。

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松風苑で腹いっぱいのご飯をいただきました。なんと休暇で沖縄を訪れた藤堂くんも合流し、泡盛を飲みながら和夫さんの美声に耳を傾けました。途中から桜井さんも唄に加わり、なんとも贅沢な夜が更けて行きました――――。

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金城家の皆様、本当にありがとうございました。こんなに温かく迎え入れていただいて感謝の言葉もありません………。金城さんの意志をしっかりと継いでいきます。これからも色んな作品を作って参ります。

ありがとうございました。

追記
円谷プロのOさん、Kさん、支えていただいてありがとうございます。飯島監督、上原正三さん、沖縄はとてつもなく優しかったです。ありがとうございました。

2010/9/21 火曜日

『海猿封切のタイミングでトッキューが来た!』

小森陽一日記 14:16:57

いよいよ公開となりました。「海猿3」、もうご覧になった方もいらっしゃると思います。映画3本に連ドラ、ほんとによくぞここまで育ったものだと思います。これもファンの皆さんの支えあってこそです。しかし、泣いても笑っても仙崎大輔の勇姿はこれがラスト、しかと目に焼き付けておいてください!

我が家にはそんな最中、トッキューがやって来ました。GWのブログに綴ったクウェート・エジプト編にてご記憶の方もいらっしゃると思います。海保の伊藤英明こと稲葉くん、リアルな元トッキュー隊長です。当然めちゃもてですが、可愛いくて色が白くてとことん気風のいい奥さんがいます。そんな2人が日本へ一時帰国し、我が家へ遊びにやって来たという訳です。

東京から福岡に来る直前「海猿」を観て来たそうで、感激したという奥さんをよそに元トッキュー隊長は、英明くんの潜り方にダメ出しをしておりました。この人ほんとに厳しくてね、「海猿」、「トッキュー!!」、「海師」と何度となくネタ作りを手伝ってもらったけど、そのたんびに「違います!こんな事はしません!」なんてビシビシ叱られたっけ………。今となってはそれも良き思い出ですが――――。

一緒にゲームをしたり、大宰府に行ったり、ご飯を食べたりした2日間、その間を縫って「S」を始め他の仕事に追われる僕を羨望で見ていたのか哀れみで見ていたのかわかりませんが、兎も角わいわいガヤガヤの楽しい休日でした。

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彼等がクウェートに滞在中、そこを拠点としてまだまだ足を運びたい外国があります。この2日間で精一杯の恩は売りました。よしよし、これで強固な足掛かりは出来た筈、後は仕事のやり繰りをすれば飛び出して行ける!………でもこのやり繰りが一番難しいんだなぁ………。

2010/9/14 火曜日

『禁断の言葉』

小森陽一日記 15:19:29

特別何も感じてはいなかった。その昔、久保さんもやっていたこのゲーム、うちの娘も友達とDSで遊んでいるのは知っていたが、やりたいと思った事は一度もない。「どうぶつの森」………、架空の森の中にある村で、そこの住人となって暮らすゲームだ。虫を取ったり魚を釣ったり家を建てましたり村人と話たり………、何がそんなに面白いのか正直よく分からなかった。

そんなある日、娘と一緒にゲーム屋さんに行った。どうしてゲームを買ってやるハメになったのか理由は忘れたが、娘がズラリとゲームの並んだカウンターから持って来たのはまたしても「どうぶつの森」だった。

「これ、持ってるだろう?」
「よく見て!これはWiiなの。持ってるのはDS!」
『まぁいいか………。本人がこれがいいと言うんだし………。ハードは変わっても中身は同じようなもんだろうけど………』

家に帰って早速ゲームを始めた娘、僕はソファに寝転んでなんとなしにテレビ画面
を眺めていた。するとだ。虫取り網を操ってミヤマクワガタやらビワハゴロモとい
った虫を捕まえ出し、釣竿を垂らしてはピラルクやシュモクザメなんかを釣ってい
く。スコップを取り出して地面の×印を掘ると化石なんかが出て来る………。
『なんか………楽しそう………』
その時初めてそう思った。

今年の夏、虫取りも魚釣りもしていない。元来、動くものを捕まえるというハンター衝動のある僕としては、相当に欲求不満の夏だった。それが今、バーチャルとはいえ目の前にある。リモコンを操作すれば、虫も魚も木のみも取れるのだ………。
「ちょっとだけ貸して………」
とうとう禁断の言葉を使ってしまった………。

今では毎日「どうぶつの森」に通っている。村人からはDr.ようなんて呼ばれて結構頼りにされる存在だ。明日は虫取り大会だな………、ヤシの木が早く育たないかな………、そんな事を思いつつ一日を過ごしている。―――これが「海猿」やら「トッキュー!!」やら「S」やらを書いている男の実態です………。

ちなみに「街へいこうよ どうぶつの森」はシリーズの5作目、発売は2008年です。それを今頃………う~ん、遅れてるぅ!!
 
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『街へいこうよ  どうぶつの森』の公式ホームページはこちら

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